読解力なるもの

 明日の授業準備。明日が終われば、あとは補講のみ。

 英語の授業の学生に、他の授業で出したレポートの感想を求められる。

 テーマは「ゆとり教育」。ふむふむ。なかなかよく書けておる。

 これでよく分かったのは、「ゆとり教育とは、経済的ゆとりのない家庭の子女の学習機会を奪うための政策であった」、かつ、「ゆとり教育は失敗だった」という認識は、かなり常識的なものになっているということ。

 先般のゆとり教育政策の事実上の撤回を後押ししたのは、2004年にOECDによって出された『国際学力到達度調査』であるが、この調査結果で注目されたのは、「読解力」という分野において日本がかなりの遅れをとったことである(2000年の8位から14位にダウン)。

 学生のレポートはその点に注目し、「読解力」とは、要するに文脈を読む力、広い意味でのコミュニケーション能力のことであると論じており、秀逸である。

 この観点からすれば、「読解力」とは、ごく基本的な日本語能力だけの問題ではなく、文脈を読み、行間を読み、意図を読み、空気を読む力のことであり、そこまで定義を広げれば、これはもう単に、「人付き合いをうまくやっていく技術」と同義である。

 そうすると、我々が小学校時代から受けていた日本語教育、つまり文学作品を読み、「さて、作者は何を言いたいのでしょう?」とやる教育は、非常に「プラクティカル」だったということになる。日常のコミュニケーションは、文学作品に劣らない肌理の読み取りによって構成されているのだから。

 ここにいたって私は、上記の国際学力到達度調査に懐疑的になる。一体、この「読解力」とはいかなる方法によって測られ、「国際比較」されているのか?

 と思ってちょっと調べたけど(ネットで)、分かりませんでした。私の「調査力」が低下しているのでしょうか。

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John Hughes, Lines of Flight: Reading Deleuze with Hardy, Gissing, Conrad, Woolf. (Sheffield Academic Press, 1997)

 私費購入。タイトルからしても、非常に「イタイ」本である恐れを感じつつ、義務感で購入。