「努力義務」と「義務」のあいだ

 朝、目が覚めたら、四囲の山の頂に白いものが。ずるずる引き延ばしてるタイヤ交換、いよいよせねば。

 id:drydenianaさんのとこから孫引き。Asahi.comより。

教員の教育能力向上研修、全大学に義務づけ 文科省

2006年12月17日15時51分

 文部科学省は、すべての大学や短大に対し、教員の教育能力を向上させるための研修を義務づける。授業に不満を持つ学生が多いためで、このほど中央教育審議会中教審)の部会でこの方針が了承された。大学の取り組みを後押ししようと、専門スタッフ養成のための海外研修や、一部の大学が持っている教員教育施設の他大学への開放などへの財政面での支援を検討する。

 大学による教員の教育能力研修はファカルティー・ディベロップメント(FD)と呼ばれる。07年度にも大学・短大の志願者総数と総入学者数が等しくなる「大学全入時代」を迎えるため、各大学は学生の教育充実に力を入れており、文科省の調べでは全体の4分の3がFDに取り組んでいる。ただ、講演会など形式的なものが多く、能力向上に結びついていないとの見方が多い。

 全国大学生活協同組合連合会の調査(05年、9900人が回答)では、授業に不満を持つ学生は55%。文科省は大学全体の教育力の底上げが必要だと判断、中教審大学分科会の制度部会に諮り、「努力義務」とされてきた研修の義務づけを含む大学設置基準の改正方針が14日の会合で了承された。

 はい、来ました。

 この動きによくある反論は、「学生アンケートでは授業の質は評価できない」というもの。それはその通りである。ビシビシ厳しくやるが、ついていけば力のつく講義をする先生はアンケート結果が悪いかもしれないし、逆に登録さえすれば単位がもらえる先生はよい結果を得られるかもしれない。私などが良い例で、それほど革新的にすばらしい授業をしているわけではないが、人気だけはある。若い、というか年齢が近い(実のところおっさんだけど)とか、テキトーそう(実際は容赦なく落としもするが)とかいうイメージだけだろう。アンケートだけで教員の質を評価しては、私のように人気だけあって中身のない教員で大学があふれかえってしまう(予備校化してしまう)、そんな反論である。

 正直、この反論はダメだと思う。この件に限っては、対案を出さないと始まらない。大学の自治に任せよ、というならば、自治によって質を向上させねばならないし、学生アンケートはあてにならないというなら、それによらない別の評価方法を編み出し、世間様を納得させなければならない。

 というのも、実のところ「学生アンケート」は正しいのである。理念的にあるべき大学講義の評価としてではなく、「世間」が大学を見るまなざしのサンプルとしては。大学内部の人間以外は、経験上「学生として体験した大学」しか知らないわけだから、学生アンケートと世間の目が一致しておかしくはない。だから、ビクビクせずに、一般に対する大学イメージのアンケートが安価にできるくらいのつもりでやればいいのだ。

 それとは別に、「自由競争」を原理とする突き放しをしながらこのような経営努力を義務化するというのはいかにも筋が通っていないが。ここに表出している矛盾はいずれ別の形をとって回帰するであろう。希望的観測として。

 物事にはつねに裏面があって、この記事を読んで教員養成系の大学はビジネスチャンスだと思っているかもしれない。実のところ、中高教員の免許更新制がしかれた場合も、教免を出している大学は仕事がどっと増えるのだ。まあ、文科省が差しだす禁断の実を食べてしまったらその後は地獄が待っている(「働けど働けど楽にならず」の)可能性もあるのだが(91年のように)。