本務と「活動」に明け暮れるうちに3月も半分終わっちゃった……。焦る。焦りつつ、前任校の卒業パーティのため日帰りで京都に行ったり。すでにしてなつかしい。
そんな合間に読む。
- 作者: 栗原康
- 出版社/メーカー: 以文社
- 発売日: 2008/06/12
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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読書会前にあまりコメントしてしまってはアレですが、まずはニクソン・ショックを分水嶺とする、「ブレトンウッズ体制/サミット体制」という時代区分の仕方は、時代区分だけからいうと「新自由主義前・後」に一致するので新しいわけではないものの、「サミット」に力点をおくことで見えるようになるもの(と、見えなくなるもの)がある。サミット体制とはすなわち、戦後の「新植民地主義」を、市場開放と金融のグローバル化によって「新・新植民地主義」へと衣替えさせた体制なわけで、IMFからの融資の交換条件として新自由主義を第三世界に押し売りし、農業・産業・金融市場を「開放」させるというのはその基本的な手法なわけだ。とまあここまでは「その通り」な指摘だが、この本の重要な特色は、著者の栗原さんがたびたびサミットへの反対運動に参加し、ストリートからサミットを見てきているという部分だろうか。
「見えなくなるもの」については、サミットとは、各国が独自のドメスティックな利害をもちよりつつ(懐に隠しつつ)、表面的な合意を表明することで(あくまで最富国の)利害を調整するわけで、多分に演劇的なものである。必然的に、それへの抵抗運動も演劇的な様相をおびる。そのようなサミットを象徴的に使って「サミット体制」と呼ぶとき、サミットという「表舞台」を裏で構成する、相反する利害関係が見えにくくなる、かもしれない。それについては、こっち(↓)の本の小倉利丸さんによる解説が述べているが。たとえば京都サミットから洞爺湖サミットにかけて、日本が「環境問題」を主軸にすえたのは、多分にドメスティックな政治状況(とその矛盾の解消)が原因だった、とか。その意味では、栗原本は、ATTAC本でのサミットのレトリック分析と、セットで読まれるべきかもしれない。(ちなみに小倉論文では、アイデンティティ主義とサミット体制との関係がちょっとだけ書かれていて、サミット体制は多様化するポストモダンな諸アイデンティティを資本と国家のまわりに再編成し、「植民地なき植民地主義」を実現するものだ、というような論じ方だが、これはもうすこし突っ込めばポストモダンなアイデンティティ主義こそがサミット体制を可能にする条件だということになる。)
- 作者: ATTACフランス,コリン・コバヤシ,杉村昌昭
- 出版社/メーカー: 作品社
- 発売日: 2008/05/30
- メディア: 単行本
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メモ。「生涯学習と新自由主義」については、1999年のケルン・サミットで出された「ケルン憲章」が基本テクストであった。外務省のホームページに翻訳があり(同英語版ページには英語版もあるが、紙媒体では出てないのかしら)。
新自由主義つながりでこの本も読み進めてますが、
- 作者: 一ノ宮美成,グループ・K21
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/01/21
- メディア: 単行本
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いやはやこれは読めば読むほど腹が立ってくる。本に、ではなくて橋下にね。