火曜は授業一コマ。水曜は一限から三コマと会議など。帰ったのは九時。12時間労働。本日は非常勤。
Culture and Resistance: Conversations with Edward Said
- 作者: David Barsamian,Professor Edward W Said
- 出版社/メーカー: Pluto Press
- 発売日: 2003/10/20
- メディア: ペーパーバック
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ここのところ、これと格闘しており、なんとか大まかには終了。9・11直後のインタヴューを担当したのだが、これがちょっと訳しづらかった。あの言葉にならないショック状態の中、サイードもかなり言葉を選んでおり、そのせいではっきり言えばいつものキレがない。訳しながら9・11を追体験。
……と、思ったらご恵贈いただく。表紙にびっくり。誰じゃあ、いたずら書きしたのは、と思ったらみんな知ってる人でした。*1
ところで、イスラム関係のものを訳す時に(それに限らないが)つねに悩ましいのは固有名などの長音。これ、私に会う度に文句を言ってくださるイスラム、いや、イスラーム研究家がいるのだが。でもねえ。
たまたま、上記の翻訳のために参考にしていた本の訳は、イスラムではなくイスラーム、オサマ・ビン・ラディンではなくウサーマ・ビン・ラディーンという律儀な調子なのだが、ただ、同じ訳の中に「ステレオタイプ」「メディア」「テロリズム」「ヨーロッパ」とあるのを見ると、そこに矛盾はないのかな、と思ってしまう。それを言うなら、「ステリアタイプ」「ミーディア」「テラリズム」「ユアラプ」にならないのかい、と。もちろん、「英語経由の表記が覇権を握る問題」ということなのだろうけども。
カタカナで原語の音声を表記する限界ということもあるが、そもそも文字によって音声を表記できているのかという根本的な問題もあるね。って、音声学の専門家ではないのでよく分からないが。以前、「円」つまり「¥」がなぜ「yen」なのだろうと思っていて、よく考えればたとえば「百円」と言った時には「エン」ではなく「ィエン」になっていることに気づいた。
いや、まあ、こうするべきだ、という話ではなく、困るよねえ、という話。