懐古調

 来月は『ハワーズ・エンド』についての学会発表のようなものをするということで、久々に、修士1年の時に書いた『ハワーズ・エンド』についてのリポートを、恐る恐る読んでみる。「『ハワーズ・エンド』論の決定版ですよ」とか言って出して、指導教官に一言、「バカ」と言われた思い出のリポート。

 読んでみて……いや、バカだなー。でも面白い。今よりも、読ませる上では稚拙この上ない文章だが、それでも文章そのものが面白い。何も知らないこと丸出し(今もそう変わらないけど)だけど、とにかく面白い。文章を書くことが新鮮で楽しそうな若々しさに嫉妬。困ったもんだ。

 「トリビュートアルバム商法」に乗っかり続けるのはいかがなものだろうと思いつつ、買ってしまう。

 しかし、特に最近の細野晴臣は「名曲」を生みだすよりもむしろこういうトリビュートアルバム的な音楽を作る方の人間であるような気がして、これじゃ単に細野晴臣のアルバム聴いてるみたいじゃない? という疑問がなきにしもあらず。

 一番面白かったのは□□□(「クチロロ」と読みます)による「北京ダック」。ちょいと□□□のアルバムを聴いてみたくなった。というのはやはり「トリビュートアルバム商法」にまんまと乗せられている証拠だが。