第一信が発されて、返事がなくて、おしまいかと思っていた斎藤環×茂木健一郎の「脳は心を記述できるか」、いつのまにか再開されてますな。再開というか、モギケンがようやく返信をよこしたという。
間があきすぎて、斎藤環の最初の批判文から読み直す必要があったものの、超乱暴にパラフレーズしてまとめると、
斎藤:あんたのいうクオリアって美学と倫理学を合一させるファシズムじゃん。
茂木:まあまあそんなメタに立ったら人生面白くないから、もうちょっとベタに行かせてくださいよ。
というやりとりでした。ある意味、ポストモダニズムを否定するそぶりを装うモギケンの「すれっからしポストモダニスト」ぶり*1が明らかになって、脳科学言説と内田樹的なものの親近性が改めて納得された次第。
全然関係ないが、来週の単発講義に向けて、かつて「すばらしい文化史」だとかどこかで紹介したくせに、実は必要なところだけ拾い読みしていたこの本を真面目に読んでいて、
The Bungalow: The Production of a Global Culture
- 作者: Anthony D. King
- 出版社/メーカー: Oxford Univ Pr
- 発売日: 1995/10/01
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いや、やはり面白い。イギリスに限定すると、「バンガロー」建築は戦間期に爆発的に建てられるのだが、その現象が起こる「郊外」というトポスと萌芽的なグローバリゼーションの関係というところに講義の着地点は設定されそう。郊外/モータライゼーション/グローバライゼーションという感じのキャッチコピーか。というとなんだかベタな感じだが、どうやら中心のテクストは『ハワーズ・エンド』で、このテクストはこういったことが表象できずに「症状」としてだけ出ているテクストであって、それを読みこむことのおもしろさを伝えられれば本望。でもちょっと詰め込みすぎか……。
*1:ちょっと評価しすぎか? じつのところもっとベタですな、この人