エコ

 某学会の論集編集のために、投稿論文の修正案を。これが半日かかった。編集にたずさわるのは初めてだけど、これは大変だなあ。汚れ役というか。

 明日の大学院授業の準備。引き続きこれ。

Beginning Theory: An Introduction to Literary and Cultural Theory (Beginnings)

Beginning Theory: An Introduction to Literary and Cultural Theory (Beginnings)

 最後に、学生が選んだエコクリティシズムの章。この本の第二版でつけ加えられた章。エコクリティシズムて、エコなクリティシズムでしょ? という程度の知識しかないので(悪意はありません)、勉強。アメリカとイギリスでの具体的な「学派」が紹介されてて、勉強になる。

 しかし、「自然」概念/実体が問題になる時、批評理論の教科書的な構造主義観(言語の外側に現実はありませーん、みたいな)の弊害が明らかに。誰かさんの有名だという発言「穴が空いてるのは、言語じゃない、オゾン層なんだ!」(超訳)には、力が抜ける。

 それから、以前届いていた古書を読む。

Max Pemberton, The Amateur Motorist. London: Hutchinson, 1907.

 いよいよ『ハワーズ・エンド』その他論を論文化すべく。この本は、イギリスの自動車社会草創期の、一種のハウツー本で、自動車の購入から手入れ、自動車旅行の楽しみ方まで。『ハワーズ・エンド』で出てくる自動車の悪害、つまり自動車が巻き上げる埃や、事故の問題が全部出てきて、言い訳している。使えるね。

 中でも、スピード出し過ぎの問題についての言い訳が面白い。曰く、私はあまりスピードを出すと、田園風景が楽しめないから、ゆっくり走りますよ。制限なんかしなくてもみんなゆっくり走るでしょ? と。つまり、自動車を敵視する田園保護言説の圧力が折り込まれているわけ。