半日保育士

 「活動」を終えて、あわてて帰宅。本日は幼稚園の「クラス別懇談会」。所属クラスが発表され、分かれて懇談会というものだが、双子は別クラスにされるので、片方だけに参加。「懇談会」はカミさんに任せ、教室の片隅で子守をしてたら、必然的にほかの子たちも集まってしまい、「半日保育士さん」状態に。いや、しかし、その才能はあるのでは、などと勘違いする。

 で、3月末までに雑誌原稿ひとつ、文化史教科書の2章分、翻訳はいろいろをやっつけねばならないので、そろそろ本腰を。文化史教科書は、デヴォリューション(とくにウェールズ)の章に頭を痛めるところだが、大枠としては、1979年の住民投票自治否決)から、1997年の住民投票(可決)への流れを、どう歴史化するか、というところだろう。仮説としては、1997年以降の地方自治の進展というのは、新自由主義的には歓迎されるものであるという点が出発点になるだろう。(現在の日本の道州制議論にも同じことが言えるので、「教科書」的にはこの論点は重要。)ひるがえって、1979年の住民投票は非常に危機的なモメントだった。「不満の冬」のあと、サッチャーが勝利する直接の原因のひとつとなったのが、この自治法案の失敗だったので。それぞれ、サッチャー前夜と、ブレアの「夜明け」(ブレアが首相になったのは1997年5月で、住民投票は9月だったので)という、決定的な転換点に、ウェールズスコットランド自治住民投票は行われた。乱暴に図式化すれば、またニコラス・ローズに依拠すれば、新自由主義ではあるがモラルの点では中央集権的だったサッチャリズムから、徹底的に新自由主義的(先進リベラリズム的)ニュー・レイバーへ、という流れに、それぞれの選挙結果は沿うものになっている。で、政治史やるんじゃないからこれをどう文化の話にするか、だね。(しなくてもいいんだけど。)やはり、ウィリアムズの出番か。

 ときに、道州制新自由主義批判の本なんてあるのかしら、と思って調べると、このような本があるらしい。ポチリ。

橋下「大阪改革」の正体

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