濃い年末

 ここ数日、大変濃密でございました。

 25日は劇団解体社公演「わたしの舞台」第三部

 劇団のみなさんにははばからず言っているように、解体社の舞台を観るのは非常につらい。言葉のすべての意味で身体がつらいのである。そこにはもちろん、文字通りの身体的苦痛も含まれていて、後半になると尻の痛みと舞台の痛みが拮抗しあい、やがてそれらの痛みが区別がつかなくなるトランス状態に陥るのである。

 それはともかく、今回はid:melanie-ji-wooさんの舞台デビューというトピックがあったのはもちろんであるが、それについては後で述べるとして全体的な劇評らしきものを。

 とはいえ私、実際に解体社の舞台を観るのは二度目で、いい加減なことしか言えないことは断りつつ、今回は解体社としてはかなりの新機軸なのではないかと思えた。私にとってあの舞台のキーワードは「笑い」であったりする。実際に客席が笑いにつつまれることはなかったものの、実のところ今回の舞台、観客が笑い転げながら観るという選択肢もあったのではないかと思う。実際私は、笑いをかみ殺しながら観ていた。最初の一人芝居の場面からもう。もしあそこで噴き出していたら、あとの各場面で笑いをこらえることはできなかったのではないかと想像される。ちょうどあの、半ばの場面で登場した「笑う女」のように。

 この「笑い」は、表面的なものではなく、今回の舞台に通底するテーマというか道具である。(この、「表面」と「通底」という言葉がすでに問題をはらんでいるが。)

 そのことがもっとも明確に示され、舞台の軸となっているのが、「マッドプロフェッサー」の講義である。下の下、もしくは深層のまた深層が、上の上、もしくはまったき表層へと突出すること。その具体的現象は、ラブレー的哄笑である。

 感銘を受けたのは、それが明示的に語られるのが、パフォーマンスが脱臼し、間が腐れる、あの「講義棟=病棟」の場面であったことだ。つまり、パフォーマンスがもっとも白々しい、奥行きを欠いたものとなる瞬間にこそ、もっとも深層のものが現前するという仕掛けになっているのだ。言い換えれば、アレゴリカルな構造を、過日のパフォーマンスはそなえていたのである。そして、解体社のパフォーマンスらしく(といえるほど観てないんですけどね)、「オリジナルとそのアレゴリーアレゴリーとそれが物語る対象」の区分は脱構築されていく。たとえば、「講義棟=病棟」が劇全体のアレゴリーであり、劇全体がたとえば「講義=カウンセリング」のアレゴリーだとしても、これらの「AがBのアレゴリー」という構造のAとBはどこかで反転する危うさをかかえつづけるのだ。それは(これは大まじめに言っているが)、尻の痛さが劇のアレゴリーであるのか、劇が尻の痛さのアレゴリーであるのか、やがて区別がつかなくなるのと同様なのである。

 ポストパフォーマンス車座飲み会では、かなり真面目に、マッドプロフェッサー役のmelanieさんは登場の時点からズボンのチャックを全開にしておくべきではないかと演出の清水さんに提案するものの、「それはやりすぎ」と一蹴。まあ、確かに。同様に、観客が本当に笑い転げてしまったら「それはやりすぎ」になってしまうのだろう。

 26日午前中は目黒区美術館にて、「文化資源としての炭鉱展」へ。期待通り、これは圧倒的である。絵画、版画、写真、グラフィックなど、写実的な迫力をたたえるものから、かなり抽象化した作品まで。もちろん、作品によっては炭坑をロマンティサイズしているものも数多い。しかし、それ自体を否定する気にはなれない。炭坑は絵になる(一種の崇高さをたたえている)し、炭坑夫も絵になるのだ。「作品」にしたいと思わせる、突き動かすなにかを炭坑はもっている、という、ただそれだけのことだ。いくらロマンティサイズしてもその「なにか」の噴出を押しとどめることはできまい。

 人物としては、私と同郷の上野英信という人物が気になった。満州から復員後、京都大学を中退して炭坑労働者となり、筑豊の炭坑労働者の共同体(サークル村)づくりに貢献し、多くの著作、絵画作品もある人。他の画家のプロフィールにもこの名前が多く登場しており、炭坑の文化共同体における重要人物であると見た。

 同日午後はイギリス文化教科書研究会。年の瀬にむりやり開催したものの、かなりの収穫であった。個人的には、ウィリアムズの「生の全体的様式としての文化」と、フーコー的な管理権力としての文化との微妙な関係という、最近浮上している課題について思考が進んだような気になれた。