もうずっとポストフォーディズム

 本日は久々に会議のない水曜日。

 2限の『アイタタ』講義は、「退屈」の章だったので、ヒッチコックの映画版で『三十九階段』の内容を確認するものの、これ、原作とはかなり違うのだろうか。原作読んでないのでなんとも。

三十九夜 [DVD] FRT-141

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 本日は久々にまとまった時間があるので、翻訳を勇猛果敢に進展させるべし、と思って気づいたらこれを手にとって読み始めてしまった。

 酒井隆史による、クリスチャン・マラッツィ『ソックスの場所』のまとめを。その中でも、日本の話が気になる。

 日本におけるポストフォーディズムは1950年代の「トヨティズム」にさかのぼられる。というより逆に、ポストフォーディズムのモデルケースが日本のトヨティズムなのだが。つまり、「高度経済成長期」に目にしていた労働のあり方はすでにポストフォーディズムだったということになる。そう言われてみれば、日本の滅私奉公的な労働者のあり方、「飲みニケーション」に象徴される、コミュニケーションの道具的利用などは、「活動」をことごとく「労働」へと変換し、言語活動を生産能力へと変換するポストフォーディズムそのものである。日本の企業における、しばしば国民性論に回収されるような労働者のあり方は、ポストフォーディズムの要請により出現したあり方としてとらえ返す必要があるのやもしれない。

 しかし、マラッツィはポストフォーディズムの基本文献だということなのだが、誰か訳してくんないかなあ。と思ったら今年出てました。『ソックスの場所』という原題、残せばよかったのに、という編集者的視点の心配をしつつ。

現代経済の大転換―コミュニケーションが仕事になるとき

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