審査員な一日

 本日は、わたしが属していた本務校のESS主催の即興スピーチコンテストに、ジャッジとして招かれる。N井さんとともに、英語のセンセイだというだけの理由で。

 依頼があったのをホイホイ受けたものの、結構大変でありました。午前中に11本、午後に8本のスピーチを集中して聴くのはかなりの重労働。

 即興スピーチとはいっても、完全な即興ではなく、与えられた二つのタイトルからひとつ選び、20分程度の準備をして4分話す、というもの。

 しかし、なぜスピーチのトピックが、面白いように「環境問題」と「携帯電話(もしくはeメール)」に引き寄せられていくのだろうか。これは、大会後のレセプションでの個々のスピーカーへのコメントでも言ったのだが、100人が聴いて100人が頷くようなスピーチには、オリジナリティがないのはもちろん、説得力がない蓋然性が高い。なぜならば、そこには100人が最初から頷くしかない結論が用意されているからで、それでは「説得」したことにはならないからだ。(もちろん、「最初からそうだと思っていたはずなのに、スピーチを聴いてそれを新たな信念として獲得したかのような気分にさせられた」という例外はあるが。というか、名スピーチには必ずそういう面があるのだろう。)「環境問題」と「携帯電話」はまさにそのような、「100人が聴いたら100人が頷く」トピックなのである。というわけで、何人かの参加者には「とりあえず、環境問題と携帯電話はトピックに選ばないことを原則にしてもいいよね」などという暴論を告げる。

 閉会式に、ジャッジの(英語での)コメントというプログラムがあることに、数日前になって気づいて、中途半端に準備はしておいてあとはその場の流れで、などと思っていたらグダグダに。あれじゃ、コンテスト参加者のスピーチの方がよっぽど立派でしたよ。申し訳ない。でもまあ、所詮それが専門ではないので。(しかし、英語でのプレゼンテーションを磨く必然性が、本当の意味で出てきたので、磨かねば。それ以前にウェールズ訛りの英語を聞き取れるようになるのが先決か。どうやって?)