野次馬

 昨日の「活動」をもって、ようやく「夏休み」に突入。研究するぞ。

 私も現在書いているコラムで、ちょっとした「事故」が発生したと聞き及んでいて、「ふーん、どれどれ」と意地悪に、野次馬根性で頁を開く。同じ本をレヴューしてしまっているということだが、それが好対照をなしていてむしろ面白かった。

 こうなると、「軍配」をどちらかに上げたくなる欲望にかられるが、それは抑圧しておいて、テーマになっている「リアリズム」について所見だけ書いておこう。問題設定として、小説の技法としてのリアリズムというところから始めても、虚しいであろう。これまたウィリアムズ的に、「リアリズム」「リアリティ」「リアル」を用語ではなくキーワードとしてとらえること。「リアリズム」についての「先行研究」を学び捨てること。これをしてこそ、リアリズムが「重要なキーワード」として再浮上するのだろう。そのような視点からすれば、リアリズムといえば社会主義リアリズムだとか、「モダニズム」と「リアリズム」が対立項となるような視点は出てきようがない。一方で、このような問題は、ルカーチブロッホの「表現主義論争」でほぼ論じつくされていいると思うのだが、他方で、「しつこく同じ事を論じ続けること」の重要性もあり。

ゴールデンラッキー―完全版 (上)

ゴールデンラッキー―完全版 (上)

 榎本俊二には『ムーたち』で遅すぎた邂逅をしたのだが、デビュー作となるこれを。なるほど、『ムーたち』の理詰めのナンセンス(というのも奇妙な表現だが)の萌芽がつまっている。