日曜は添削の日。先週は多くの授業で中間試験を行ったので、大変。
変な当て字の漢字間違いをする学生が多いという話をよく聞くが、実際多い。妙に、「なるほど」と思わされるものも含め。でも、今、いい例が思い出せない。
それとは別に、定期的に出会うのが、nationalを「国際的」と訳す学生。この間違い、学生たちの言語環境と住む世界をよく物語っている。多分学生たちの頭の中では「international=国際的」という関係は確立しているが、肝心の「国際的」という日本語が、ノ○゙ァに表象されるような(?)観念となっているため、nationの間の、という概念たり得ていないわけだ。その際、おそらく国民国家という共同体の形が歴史的に限定されたものであるというような視点は全くあり得ないわけで、国民国家は「自然」なのである。国際的という訳語においては、酒井直樹の言う「対-形象化の図式」が奇妙な形で無効になっているのが興味深いところでもある。
というか、新しい訳語が必要なのかもしれないが。
という雑感とは関係ないのですが、この本。
Geomodernisms: Race, Modernism, Modernity
- 作者: Laura Doyle,Laura A. Winkiel
- 出版社/メーカー: Indiana University Press
- 発売日: 2005/11/22
- メディア: ペーパーバック
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来週、とある研究会で読むことになり、担当の章は後回しにしてとりあえずIan Baucom, "Township Modernism"を読む。
この論集全体のねらいは、西欧に限定してキャノン化された「モダニズム」が、時代と地理をこえて移動、転移し、異なる歴史的・社会的文脈でいかなる生を営んだかということであるが、Baucomの場合、ベンヤミンの(パサージュ論の中の)ボードレール論を枕に、ファノンらが植民地独立運動においてベンヤミン=ボードレール的なモダニティ、モダニズムをどのように流用したかを論じる。
その際の「モダニズム」とは、ベンヤミンの論ずるアウラなき対象との関係、つまりまなざしと対象との「魔術的距離」が無効化したような関係のことを指す。という定義だけからすると、例によってモダニズムという用語はほぼ無意味で、モダニティとしておいた方がいいのだろうが。
濃密、または思索的論文で、まだうまく飲み込めた気がしないが、あとは研究会の際に考えるとしよう。Baucomのこれはまだイントロダクションしか読んだことがないことを告白しつつ。
Out of Place: Englishness, Empire, and the Locations of Identity
- 作者: Ian Baucom
- 出版社/メーカー: Princeton University Press
- 発売日: 1999/02/14
- メディア: ペーパーバック
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