田舎と都会と原発

 この記録映画を、私は公平な目で見ることができない。というのは、これが上関原発の予定地の向かいの島の暮らしを描くものであるからでもなければ、今が3.11後だからでもない。舞台が山口であるからだ。

 全編を通して、この作品は「島の暮らし」を描く。風の音、潮騒、船のきしみ、稲を刈る音……。印象的なのはそういった自然や生活や労働の音である。それを「原発」が切り裂く。映画の視点は、島民のうちでも原発反対の住民の生活にフォーカスされており、賛成派にその視点が肉薄することはない(し、そこが正直残念だ)が、端々から原発問題がこの島の共同体に亀裂をもたらしていることがうかがわれる。

 それよりなにより、島の人々のベタベタな山口弁(映画には部分的に字幕がついているが、私には必要なかった)に、私の身体が反応してしまうのだ。この映画を見ていて気づいたのだが、私はいい年していまだに「田舎から身を引きはがしたい」という欲望から自由になっていない。生まれ故郷の言葉は、自分の身体の奥底に沈殿していて、その言葉が話されている環境に身を置くことは、いわば自分の体内と浸透圧を同じくするぬるま湯に身を浸すような落ち着きを与えてくれる反面、そのぬるま湯がねっとりと皮膚にへばりついて毛穴から入り込んでくるようなおぞましさも感じさせる。

 このような感情構造こそ、「原発問題」という巨大な総体の一部である。

 ここに描かれる祝島の村は、明らかに過疎の村である。「主人公」たちはみな70代から80代のご老人たちであり、50代は「若手」扱いされるという。児童が三人だけの小学校は、その人数には明らかに似つかわしくない立派な体育館やたくさんの楽器のある音楽室をそなえており、往時にはそこで多くの児童たちが笑いさざめいていたのだろうと推察される。四年に一回の祭りで帰省してきた人々の様子、服装からは「島のにおい」がすっかり抜けている。

 この映画を、「美しい自然の中の農村・漁村生活」を賛美し、それを奪い去ってしまうかもしれない原発の建設に反対する映画だと解釈し、その解釈が正しいのだとすれば、私はどうしてもそれに頷くことができない。意地悪な言い方になってしまうが、この生活を「美しい」と解釈するとして、では、実際にその生活をあなたはしたいですか? ということだ。主人公たちの一人、棚田で米作りを続ける方は、祖父が30年かけて作り上げた棚田の石垣に、その祖父が彫りたいと言っていた、子孫たちへの思いを綴った詩を彫る。これ自体、世代をこえて受けつがれる、「この棚田さえあれば食いっぱぐれることはない」という思いを伝えてきて、美しい。しかし、どうやらこの棚田を継ぐ人はいないのだ。どうやら私のシンパシーは、祭りのときに島に「帰省」してくる人たちとともにある。この島の生活は私にはできない。いやむしろ、そのような生活から抜け出すために私は一生をかけてきた。その生活が美しくなんかないことを私は知っている。いや正確にいえば、この漁村と棚田の風景は、私の親の世代の生まれた土地の風景であり、私(たち)は二世代をかけてそこから抜け出してきた。そうやって、日本の多くの祝島からは人がいなくなり、東京は肥え太っていく。

 原発が、そのような感情構造のうちに忍び込んできたことを考えなければならない。田舎は二重に搾取されてきた。ひとつには、上記のような感情構造のうちにおける、近代化の他者として、そしてその近代生活を行うには不可欠だと喧伝される、原発の敷地として。その田舎を美しいと言うことは、そのような搾取をさらに重ねることにほかならない。

 ここまで、この映画が「美しい田舎」を描いているという前提で書いた。確かにその側面もあるかもしれないが、そうでない側面もある。それは決して「暗部」を描いているということでははく、淡々と、コメントをできるだけしない形で生活を描くことによって、それが良いものであるか悪いものであるかは、観客にゆだねられているところがあるのだ。(だからこそ私のような感想も出てくる。いや、この生活が良いとか悪いとか判断するのは、単に失礼で、よけいなお世話ではあるのだが。)

 しかしそれにしても、この映画が描くべきだったことは、すでに述べた通り、「賛成派の島民が何を感じ、考えていたか」だと思う。純粋に、それを知りたいと思った。賛成派との(また、反対派との)対立も、この島の経験の重要な一部になっているはずで、そこを知りたかった。それをすることは、「みんな近代化を望んだんだろう?」という、原発に反対できなくさせる恫喝である、といった議論もあろう。そうかもしれない。しかし少なくとも私は、上記のような感情構造からどうしても逃れられない人間として、そこを考えなければ前には進めないと思っている。