ワークショップ「原子力と文学」のお知らせ

 こちら、当日まで一番上に出しておきます。最新エントリーは下をご覧ください。って最近更新が少ないですけど。日本英文学会関東支部のウェーブページはこちら

 提案者の提案内容を追記しました(7/1)。

日本英文学会関東支部ワークショップ


               原子力と文学


 3.11の東日本大震災は、文字どおりに言葉を失う経験であるとともに、私たちの社会を考え直すことを強いる危機として、私たちに迫りました。そのような危機の中で、「文学に何ができるか」という問いが、幾度か耳にされました。本ワークショップは、そうした真摯な問いへの応答を試みるものです。
 今回の震災が、私たち生きのこった者たちの、社会全体の認識をなんらかの形で変えたことは、疑いを差し挟む余地はないものと思われます。こうした認識の変化は、文学研究が取り扱うべき問題、いやむしろ、文学研究こそが責任をもって取り扱うべき問題である、と言えはしないでしょうか?
 変化したのは、現在と未来の社会の認識にとどまりません。現在の危機は、いやおうもなく私たちの過去についての認識も一変させたはずです。
 その端的な一例が、原子力についての認識です。ワークショップ企画者は個人的に、東京電力福島第一原子力発電所の危機に直面するまで、原子力発電の存在を端的に言って忘れていました。冷戦後期にはまだあった、「核」への想像力が、原子力発電には適用されず、そこに「放射能」の危険と恐怖が見いだされることはなかったのです。個人的な悔悟と反省にさいなまれつつ、そこに生じた疑問とは、なぜ核兵器原子力発電に対する認識が、これほどまでに切断されてきたのか、ということでした。
 おそらくここには、「イデオロギー的なプロパガンダ」とは別に、まさに文学的な水準での忘却の作用が働いていたのではないか。本ワークショップは、この疑問をさまざまな角度から検証することをめざします。さらにはそこから、社会と文学はどのように変化し、文学研究はその変化にいかに貢献し、対応するのか、という問題に取り組む足がかりを得ることもめざします。
 犠牲者の弔いも十分になされたとはいえず、また被災者の生活も先が見えず、原子力発電所の危機も進行中である現在、このような企画は迂遠にすぎるように見えるかもしれません。しかし、そのような迂遠な作業は文学研究にしかなしえないものであり、その作業をいまここでしておくことは、あとから生まれてくる者たちに対して私たちの負う義務ではないでしょうか。これを、登壇者と参加者が共に考える、そのような場を設けたいと思います。


日時:2011年7月10日(日)13:00-


会場:成蹊大学10号館2F大会議室 (JR中央線吉祥寺駅よりバス5分・徒歩15分)


提案者:河野真太郎(一橋大学)・大貫隆史(関西学院大学)・杉本裕代(東京都市大学)・西亮太(一橋大学大学院博士課程)・山口菜穂子(明治大学兼任講師)


ゲスト:遠藤知弘氏(名古屋大学工学部・原子炉物理学(臨界安全))


入場無料・予約不要

 誰かがもっている答えを聞く場所ではなく、その場にいる全員で答えを探す場所が、ワークショップだと私たちは考えます。
【ワークショップ】「ある特定の課題について、一定時間、議論し実際に作業をすること。そこでは、ひとびとの集団が、知識と経験を共有する。」[OALDより]

■提案内容■
河野真太郎
 本ワークショップの趣旨を説明すると同時に、「原子力文学」「原発文学」とはなにかを考えたい。それは、必ずしも明示的に原子力を扱う文学だけではないだろう。むしろ、それを扱わない、不在においてこそ原子力の物語は紡がれてきたのではないか。私は、そのような視点から、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を「原発文学」として読む。核戦争後の世界を描くという構想で書きはじめられたこの小説が、結局は「クローン技術後」の世界になったのはなぜで、どのような意味をもつのか。『日の名残り』においても、イシグロはエネルギー問題を不可解な不在としてきているが、『わたしを離さないで』も、原子力の恐怖を解消・抑圧するものなのか。以上のような問題を提起する。

大貫隆
 本ワークショップの趣旨を補足説明すると同時に、R・ウィリアムズを読みつつ、「文学(literature)」という言葉について、構造主義以降における、その支配的、勃興的、残滓的用法を、ごく大まかに、できれば実例をまじえて、探ってみたい。

杉本裕代 
未来少年コナン』(1978年、宮崎駿監督)を題材に、理想のエネルギー争奪戦物語のなかで、原子力エネルギーが不可視化/必然化されていく過程を議論し、それを補強する「人体賛美」や「恋愛」という言説の相互作用に注目したい。フレドリック・ジェイムソンがグレマスの四角形を発展的に用いて実践した歴史化の手法を手掛かりとして、太陽エネルギー/石油エネルギー/「人力」といった項目の相関関係を考えると、そこでは「代償なくしては何も得られない」という近代進歩主義のもとに、不在の項として原子力エネルギーが浮上してくるのではないだろうか。

西 亮太 
 先の震災に伴う原子力発電所の事故は「平和利用」の名の下に押さえつけられてきた、原子力そのものの危険性をあらわにした。しかし暴露されたのは至極当然なはずの「核物質は危険である」ということだけなのだろうか。むしろここで明らかにされてしまったのは、戦争利用と平和利用という二極的な使用価値付与という閉域に隠蔽されていた、「原子力」そのものが隠し持っていた「力」への期待であった。この「力」は軍事的・経済的行き詰まりを打破する「成長」への憧憬であったと考えられる。私は、この「成長」物語と手を携えた植民地主義を批判してきたエドワード・W.サイードの批評理論を、この「成長」物語を成立させる単線的時間への抵抗として読み替えてみたい。

山口 菜穂子 
「君はヒロシマで何も見なかった」は、〈経験〉へと接近することの困難を表わすものとして、『24時間の情事』(アラン・レネ監督、1959)の中で何度も繰り返される台詞である。原爆を主題化した文学や映画やアニメーションの系譜が確固としてあるいっぽうで、リアリズムのレヴェルで、原爆の経験が共有されてきたとは言い難い。原爆の経験への接近の試みが失敗し続けてしまう、という事実は、「核」というものが、人間の想像力と認知力の限界を超えるものであることを端的に示すと同時に、「核」が「積極的な忘却」としか呼び様のない作用を発生させる磁場となっていることを示唆している。われわれが「フクシマで何も見なかった」ということにならないために、文学研究にできることを提案したい。