配って、配って

 ワイルド協会のシンポは無事終了。すでに話の大筋は前のエントリーで書いたとおりだが、今回の肝としては、「自由」をめぐる系譜を考えるときに、「市場における自由」と「国家のもとでの自由」という対立的な図式がどこかで生じており、その図式によって抑圧=排除されてきた別の自由の系譜が存在する(はず)、というところ。

 土曜はその一端しか話せなかったが、その「別の系譜」として、具体的にはイギリスにおける「分配主義」の系譜の掘り起こしが重要であろうと思う。分配主義とは、市場か国家か、という二項対立をこえた「第三の道(!)」をめざすものであったのだから。で、これが、全体像がよく分からない。とりあえずは、土曜に扱ったベロックやチェスタトンの、カトリック系の系譜と、ラスキン、モリスからギルド社会主義の系譜、そしてヒュー・ダグラスの社会信用論。とりあえず思いつくというか知っている人たちはこれくらいになる。重要になるのは、これらの系譜がいかにして消えたか、ということろであろう。(ベロックやチェスタトン、ダグラスの本を現在出版しているのは、じつのところアメリカのカトリック系の出版社だったりするわけで。すくなくともいえることは、分配主義はファシズムとの結びつきによって評判を落としてしまったということ。なんたって現在分配主義を掲げてるイギリスの政党のひとつといえば人民戦線なのだ。)

 分配主義は、これはもう現在はベタなアクチュアリティをもっているわけで、すでに研究を進めている人たちがいるなら、それをテーマにどこかでシンポでもやってほしいなあ、と思う。

 だって、こんな本まで出ちゃうご時世ですからね。

成熟日本への進路 「成長論」から「分配論」へ (ちくま新書)

成熟日本への進路 「成長論」から「分配論」へ (ちくま新書)