殺さず殺さず

 昨日は「二時間でフーコーがまるっと分かる会」。または新自由主義読書会。

 まず、報告の三浦さんも強調していた通り、1978〜9年の「生政治の誕生」と題されたこの講義においても、フーコーの力点は「現在の系譜学」にある。この年代は議会政治という意味での「政治」においては新自由主義前夜といえるが、その状況を敏感に察知したフーコーは、勃興しつつあった新自由主義イデオロギーの系譜を、18世紀以降の「ガヴァメンタリティ」の系譜に、さらにはそれを実践する装置としての「市民社会」の系譜に見る。それによって例えば福祉国家の終焉と新自由主義といった短いタームでの断絶の物語は無効になるだろう。

 そのような「現在の系譜学」の強調は、ウィリアムズとも共通するところではあるけれども、なんだろう、ウィリアムズの「残滓」の強調がぎりぎりのところで希望を与えてくれるのに対して、フーコーは徹底的に「ああ、逃げ道なしね」と思わせるものがある。昨日の会でも話題になっていたように、「フーコーはマゾだから」(サイード=サ……ド?)で済めばいいけどそれじゃあね。(しかし、フーコーの記述する生政治って、「ああ、その中で管理されて生かされていればそれはそれでとっても楽かもしれない……」と思わせるところがあり、フーコーもそのような「ヤバさ」と紙一重だったんだろうななどと妄想してみる。)

 飲み会では、参加していたクソ生意気な学部生と楽しく歓談。ちょっと、ウチの学生のひとつの典型(=自分のかつての姿?)を久々に見たような気がする。(かれこれ15年経っても、変わらない部分はあるものだ。)

 次回はやっぱり私になりました。今のところ、ベーシック・インカムのさまざまな学説・主張の紹介と、ATTACの運動の紹介をしようかと。日時は11月22日(日)16:00〜ですが、参照テクストなど決まりましたらまた連絡します。