啓蒙ということ

 風邪が良くなったり悪くなったり。昨日は一日寝て回復したかと思って今日は大学に行ったらやっぱりあやしい感じ。寝よう。

英米小説の読み方・楽しみ方

英米小説の読み方・楽しみ方

 ご恵贈いただきました。ありがとうございます。駒場のリレー講義がもとになっている模様。タイトルや構成、全編をつらぬくですます調から「駒場でこんなに啓蒙的になる必要あるのかなあ/むしろ全速力で突っ走った方が、知的刺激があるのでは?」などと生半可なことを思ったが、拾い読んでみると部分的に、ゆっくり歩いているのかと思ったらいきなり全速力ダッシュ、もしくは三段跳びのような部分も散見され、なるほどと思う。

 しかし、『ハワーズ・エンド』と『日の名残り』が両方登場するので、来年度の某大非常勤講義でそのまま使えちゃうなあ。

 この本とは直接関係ないが、最近業界的に意識が高まっている「啓蒙」とか「おもしろさ」ということについては、上に書いたように、しゃべっている当人がおもしろいと思って突っ走っている姿を見せる、これにつきるのではないかと思う。学生の理解を超えていようとも、そこには、「よくわからんけど、この人はこんなにおもしろそうに話しているのだから、おもしろいことを話しているに違いない」という一種の転移が起こる。逆に、学生に「わかる」レベルに議論を下ろしていくことが「啓蒙」だと勘違いしている向きもあるが、それは逆効果だろう。それをやると、しゃべっている方がおもしろいと思わなくなって、そのような姿勢では話の中身にかかわらず聞く耳を持たれない。ただし、自分でおもしろいと信じることと「ひとりよがり」は紙一重なので気をつけましょう。(誰に向けて言ってるんだか。自分に向けてです。)上記のような「緩急」がキーワードだろうか。