今日の藤田

 昨日のあれは疲労ではなく風邪でした。7度台の微熱が続き、今日は業務があったのだが休んで寝続ける。

壁につき当たったら後ろを向いて見るとよい場合がある。過去の歴史的経験が広く眼前に拡がっているので、つぶさにそれを検討することが出来る筈だ。魯迅がやったように、自分の「閉塞感」や絶望に溺れ込むことを拒んで、それに対して絶望的に戦っているならば、過去へのロマン主義的陶酔ではなくて逆にするどく内在的な検討が出来る筈だ。何故なら、いくら「八方ふさがり」でも上下は空いているだろう。最小限、下の方に掘ることは出来る。深さへの到達だ。歴史に対する態度もそういう風でなければならないように思う。(viii頁)

 藤田省三『現代史断章』より。歴史にまつわる思考をする者で(そして「すでに書かれたもの」を対象とする時点で文学研究とは必然的に歴史にまつわる思考だが)、これを読んでずしりと肝に来ない人がいたら、それは何かの症状だと考えた方がよかろう。

 さて、寝ます。