遠い夏休み

 土曜は公開講座準備で日曜は本番。土曜帰れたのは10時半。なんだかムシャクシャしていろいろ考えていると眠れなくなり、次の日は朝からまた準備があるにもかかわらず、眠りにつけたのは5時半くらい。2時間睡眠で再び出勤。

 有名人(戸田奈津子さん)を呼んだおかげで、なんと約1,200人の聴衆を得る。大成功。しかしまあ、やっぱり有名人パワーというのはすごいなあ。

 これで大きな一仕事が終わったので、締切まであと二日の論文を仕上げるぞ、と思ったら指導学生の修論締切、その他業務の締切が迫っていることに気づき、また採点などもしながら一日が過ぎる。うぐぐ。

 授業はきっちり31日まで。その後の週末はまたオープンキャンパス。7月のスケジュールをふり返ってみると、「休み」(本当の意味で休んではいなくて、授業の準備その他でだいたいつぶれているが)は4日しかなかったことが判明。なぜ、こんなことに?

 閑話休題

 最近、世の中には二種類の人間がいるのではないかというテーゼを思いつき、その応用可能性について思索している。それは、「自分が何もしなくても物事が進んでいくことに安住できる人間」と、あとは単純に「物事を進ませる人間」。前者は、もちろん後者が行っていることに思いをいたすということをそもそもしないために、安住できている。安住できているはずなのに、逆説的にもそういう人種は世の中の進行に自分が与っているという手応えを得たがる。その結果、何をするかといえば、全く的外れなことをやらかして後者の人たちの仕事を増やすか、もしくはダメ出しマシンと化すか。「頼むから、せめて何もしようとするな」と思うこと、ありませんか?

 いや、こう書きつつも自分が後者であることに対して確信は持てずにいるわけだが。というか、後者のポジションは願い下げなのだが(だって、楽に生きたいもん)。

 いかんいかん、飲んで、寝よう。(論文は?)