はい、というわけで、前回のクイズの答えは「いちからじゅう」でした。ピタゴラスイッチより。直接答えを下さった方、ありがとうございました。何か送っておきます。しかし、最近の幼児番組って、なんだかものすごくシュールなのね。
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去年京都で上映会があったのを見損ね、この度京都シネマで上映開始したので、観てきました。
初日ということで、岡真理さんとジャン・ユンカーマンさんの対談付き。本来は監督の佐藤真さんが来るはずだったのが、過労でダウンとのこと。
美学的に好みでした。サイードの自伝に触発され、そのゆかりの地を探訪するというロードムービー風の、淡々とした時間の流れが、観客を無理なく問題の核心へと誘っていくという感じ。
もちろん、サイードを「主人公」とするドキュメンタリーなわけで、そこにはパレスチナでの過酷な現実が映り込んでんでおり、また観客も「政治的」サイードの姿を期待してしまう。実際、ユンカーマンさんの話では、コロンビア大で最初の上映会を行った際には、この映画が「十分政治的ではない」という批判があったそうだ。
しかし、サイードを主題とする時点でそのような反応があることは折り込み済みなのだろう。そのような期待に添ってサイードを描いていたら、この作品は凡百のものになってしまっただろう。では、「政治的サイード」という決まりきった形ではないサイードの姿をあぶり出すにはどうするか。
そこでとられた選択肢が、サイード自身を登場させない(子供時代の映像は除いて)というもの。サイードは、場所、そしてそれを取り巻く人によって遠回しに描かれる。(個人的には、ヴァージニア・ウルフの『ジェイコブの部屋』を思い出したりする。)
ところで、印象深かったのは、パレスチナやレバノンの難民キャンプでインタビューされる人たちが、明らかに「嘘」をついていること。一つは岡真理さんが対談で指摘していたが、アイネルヘルウェで取材クルーを泊めてくれる家のお父さんが鍋一杯のコーヒーを煮出している場面。「これを売って暮らしているんだ」というが、ひょっとするとこれは完全な嘘で、支援物資などに頼ってなんとか生きている状況で、自分の力で生きているんだと訴えるための、必死の嘘かもしれない。また、サイードの暮らした場所の周辺でインタビューを受ける人びとの応答も、明らかにいいかげんなものではないかと思えた。「ああ、サイード家の人たちね、覚えてるよ、いい人たちだったね」とか、「エドワード……誰だったっけ?……ああ、サイード。サイードは、ペンでのジハードをしたんだ」とか。人間はカメラを向けられればカメラを向けられたなりの発話をするのであって、それはそれでリアルな姿なのだろうな、と。
あと、ガウリ・ヴィスワナタン、サイードの家族のインタビューも長々と入っており、これを映像で見られたのは収穫だった。それから、エンド・クレジットに大学のサークル後輩の名が出てきてびっくり。彼は卒業してから確かレバノンへ渡って、その後どうなったか知らなかったのだが、おそらく同姓同名ということではなく、現地で撮影を助けたのだろうか。
上映が終わって、何かのはずみで岡さん、ユンカーマンさん、京都シネマの取締役の方と昼食。サイードの生家や別荘、カイロの家などを映像で見てみると、改めてサイード家は金持ちだったことがよくわかる、それを言うならパレスチナの金持ちは本当に金持ちだ、という話から、日本にはつくづく文化資本で示されるような階級の明確な差がない(大学教員がカラオケで下品に騒ぐ──これ、私だな──など、他の国ではあまりないとか)などなど。
もちろん、サイードが金持ちだったからダメ、という非弁証法的批判をするつもりはさらさらないが。
ユンカーマンさんとの話で思い出したが(『チョムスキー9・11』の監督です。念のため)、チョムスキーの『マニュファクチャリング・コンセント』の書籍版、翻訳が出ました。DVDも日本版を出して欲しいな。
マニュファクチャリング・コンセント マスメディアの政治経済学 1
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