最近、何かの流れで新歴史主義のおさらいをしているのですが、
- 作者: H・アラム・ヴィーザー,伊藤詔子
- 出版社/メーカー: 英潮社
- 発売日: 1992/11
- メディア: 単行本
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訳されていたのか……びっくり。原書はこちらですが、
- 作者: Harold Veeser
- 出版社/メーカー: Routledge
- 発売日: 1989/07/27
- メディア: ペーパーバック
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こっちも在庫なし。批判的な論考も含めて充実した論集。レントリッキアの批判的な論文と、スタンリー・フィッシュの辛辣なコメンタリーが記憶に残っている。なんだか、あれです。新歴史主義って、「批評理論」的な「学派」としてはアレなのかもしれませんが、現在の文学研究って多かれ少なかれ新歴史主義的である気がする。いわば批評の「無意識」にまでなっている、それゆえに真剣な再検討が必要か。
……というところまで書いて、上記『ニュー・ヒストリシズム』のはてなダイアリーでの参照履歴を見たら、案の定。引用します。あえてURLは示しませんが。*1
わたしは「理論派」であり、ある程度は新歴史主義者でもある――真面目にやっててそうなってない同世代の英文学者はほとんどいない――が、歴史学との対話が言うほど簡単ではないことはこの十年しみじみ経験してきたので、この文章〔ギャラハー論文〕はあまりに痛い。また問題は、学際性だけではない。(英)文学研究は、新たな理論軸の流行によってその都度盛り上がるということを繰り返してきた。われわれが院生だったころは、新歴史主義者になることによって、年配の先生を殴るのに都合がよかったのだ。しかし、フーコーなりサイードなりセジウィックなりが「消費」されたあとに、「理論的新しさ」だけではやっていけない。それではなにができるのか、という問いに、北米の研究者たちも直面しているということだ。
I Can See Your House From Here
- アーティスト: John Scofield
- 出版社/メーカー: Blue Note Records
- 発売日: 1994/03/23
- メディア: CD
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ジョンスコとパトメセ(なんて言わないか)という二大ギタリストの競演。「スリリング」という陳腐な言葉を使ってしまいたくなる。スリリング。スティーヴ・スワロウも忘れないでくれ。多くの人がコメントしているように、ジョンスコの方が「前に」出てるかな。でも、パトメセの方が「緩急」の「緩」担当だから必然的にそうなるのか。うーん、イイ。
*1:追記。無断引用になるな、と思い直し、URLを示しておきます。→http://d.hatena.ne.jp/toshim/20050809