教育したり育てたり

 一限は文法。分詞とか分詞構文とか。去年私の英語のクラスになって、文法的に文章を読むことをたたき込まれた学生たちは、「分かって」きている感じが確実にあって、やった甲斐があったとしみじみ。私は英語教育学の専門家ではない(英語教育の専門家ではあると胸をはって言うが)ので、ある意味古風な英語教育をすることにためらいはない。

 「文法」は捨ててはならない。極端な話、文法抜きで言語を学ぶというのは、"I have a pen."と"I have a daugher."が、全く別の文であり、発話状況の一回性・具体性のみに基づいて(それに基づけばこの二つの文は全くの別物であるから)経験的に言語を習得するということであって、時間の限られた授業では実行不可能である。また文法というのは「抽象化」であって、抽象化して思考する習慣を持っていない学生にはよい訓練になる。

 学生が出産祝いと称して(称して、というか祝いなのだが)おむつを一山くれる。わかってるねえ。お礼に来週の小テストはとびきり難しくしてあげよう。

 卒論を書いている四回生たちがやってきて相談。卒論の話をしていたはずが、茶飲み話に変化し、延々と。気づけば昼を過ぎて、井戸端会議を解散させて買い物に(現在家を空けられないので私が買い物係)。

 そうそう、娘たちは順調にすくすく育っております。もうすぐ二ヶ月。もうすぐ6キロ台。ちょっと増えすぎか? 微妙に、笑うようになりました。