本当に、もう少し

 だらりだらり。久々のまとまった休み。しかし、ほとんど翻訳の校正と試験問題作りについやされる。まあ、こんなもの。いつもながら、授業準備は学期の初めと終りが調子あがらない。長期休暇の後は、生活ペースを変化させるのがしんどいし、学期の終わりは「もうすぐ終わり」という意識が先立って、なんというのか、つんのめってしまう。

 翻訳校正は、かなり前に訳して塩漬けになっていた原稿なので、もう、真っ赤。自己嫌悪感をエネルギーに変えて、赤を入れていく。今回のお仕事に関してはここまでに至る経緯が微妙なので、あまり喧伝したくないが……

 で、せっかくの連休に、また必要に迫られた仕事ばかりじゃ何なので、少しは関係ない本も読む。

流れる (新潮文庫)

流れる (新潮文庫)

 なんたる美文。久々に文章が気持ちいいという体験をした。この気持ちよさはリズムの心地よさである。審美的ですが、そういうのに反応しちゃうんですよ。ただし、その美文で描かれるのは鼠の糞だとか、回虫のうごめく犬の糞だとかなのだが(食事中の方、すみません)。まあ、内容まで美しかったら何にも残らないんだろうけど。

身体を通して時代を読む (木星叢書)

身体を通して時代を読む (木星叢書)

 内田樹はともかくとして、甲野善紀は私と名前が同じ(読みが)なので微妙に気になっていた。書いたもの(対談集だけど)を読んだのは初めて。これを読みながら、近年の日本思想というか、論壇の「身体論」の総括って必要だなと思う。90年代初頭くらいからの。『唯脳論』が出て、ニューロサイエンスの進展に伴う思想上のシフトが起こり、方や予想されるとことだが「声に出して読む……」のような保守派の身体コントロール論が盛んになり……で、この本はというと、残念ながら毒にも薬にもならないのではないかという印象を得た。かといって、「おまえがやれよ」と言われてもそれはちょっと。誰かやって。