ベンタム

 消えます、とか言いながら中三日で復活。原稿を書いては消し、書いては消し。だいたい、書ける時にはテンションが上がって一気に書いてしまうのだが、その「神」がなかなか降りてこない。というか、あまり新たな情報はなくて、これまでの研究の再編集みたいなものだから、こんなに苦労しないはずなのに。

 私はどうもふてぶてしい感じに見えるらしいが、実際はとても繊細なので、プレッシャーで歯茎が腫れ始める。アイタタ。

 今回はとても間に合わないので織り込めないが、「ベンサム」が気になり始める。戦間期から戦後のベンサム受容の位置づけ。『スクルーティニー』の第二巻には保守派政治学者Michael Oakeshottによるベンサム論があったりして、功利主義自由主義という教科書的なベンサム像では捉えられていない(ような気がする)。同時代では「ベーシック・イングリッシュ」で有名なC. K. Ogdenがベンサム大好き。なぜベンサムが「ベーシック・イングリッシュ」に帰結するのか。著作を読むべし。あとはフェビアン協会か。ケインズベンサムを嫌ったのだが、ベンサム流行もまた戦後の「福祉国家」へと向けた、社会コントロールの思想として期待がかけられたものであったような直感。勘違いかもしれないし、常識の範囲なのかもしれないが。経済思想史のイロハを勉強せねば、と思う。

 そして、リーヴィスがイントロダクションを書いて1950年に出版されたこれ。

Mill on Bentham and Coleridge

Mill on Bentham and Coleridge

 これと同じタイトルの章を、レイモンド・ウィリアムズが『文化と社会』に設けている。

 全部、学会後の「宿題」だな。というか、こんなこと書いてないで準備しなきゃ。関係者のみなさま、すみません。