大学英語試験かくあるべし

 図書館で『英語青年』をぱらぱら。特集の「大学英語問題を批評する」。大学入試の英語に関して、特に予備校関係者や高校の先生が抱くであろう不満として、「教えてないことを出すな」「古くさい英語を出すな」というのがあるだろう。こと英語に関して、「教えてないこと」というのは単純なレヴェルの問題ではなく、「予備校・高校で正しいとされている英語以外」ということである。

 その声に耳を貸す必要は全くない。原理的に、入試とは「その大学が求めている能力を試すためのもの」であって、学習指導要領と大学入試は無関係なのである。とはいえ、現実的には学習指導要領と、大学が求める英語運用能力に重複する部分が出てくるだろう。それだけである。

 これは、高校までは「こどもの世界」で、大学からは「大人の世界」だ、ということである。高校までは決められた範疇の中で、やるべきことをやれば良い。大人の世界は、そのやるべきことから自分で探さなければならないし、「聞いてないよー!」という不条理に出くわすこともある。

 これは原理的な問題であって、現実に不適切な問題や、単純に間違った問題が出るというのはよくあることだ。入試の回数が激増している今、ひとつひとつの入試作成に投入されるリソースは明らかに減少している。本学はかなり綿密な方であるが。しかし、入試に関して非常にストレスを感じるのは、「明確な正解のある問題」を作らねばという自己規制のために、それこそ本当に問いたい言語能力が問えないということ。例えば、レトリカルな表現の真の意味を問う、といった問題は出せないと聞いたことがある(文字通りの意味が「不正解」だとは、究極的には言えないから、だそうな。実際どの大学も出さないかというと、それはわからない)。私としては、レトリックを解さない学生が多すぎるので、それこそ問いたい能力なのだが。