疲労困憊。
ここ二日、大学入試センター試験が実施された。今年は何と言っても英語にリスニングが導入されたことが話題をさらった。
日曜の朝刊を賑わせた文言は、「リスニングでトラブル続出」。
続出?
センター試験そのものについてはどうでもいいが、400/500,000を「続出」と表現する日本の言説環境に「あいかわらずだなあ」という思いをぬぐいきれない。
この数字はつまり、受験者数50万人に対して、「トラブル」が起こった受験者400人ということである。約0.1パーセント。大変にりっぱな数字だ。
こんなことを言うと、「とんでもない。公平性の原則から言えば、トラブルは0パーセントであるべきだ。」という反論が飛んでくるだろう。
しかし、センター試験であろうがなんであろうが、機械が介入し、人間が運営する以上、トラブルは起こるのだ。「起こってもしようがない」と言っているのではない。厳然たる事実として、トラブルは起こらざるを得ない、ということだ。機械そのものにしたって、普通の家電製品を考えてみれば、50万台作ったら何台初期不良になるか想像していただきたい。正確な数字は分からなくとも、「0台」と考える人はいまい。
しかるに新聞各社の論調や、入試センターの会見は、あまりにもナイーブに「トラブル0」を想定している。そういった前提が支配するところに「100パーセント起こるトラブルにどう対応するか」という発想は生まれてこない。
あいかわらずだ、というのは、日本は少なくとも先の戦争以来つねにこのような発想でやってきたのである。つまり、リスクを冷静に計算した上で現実的対応策を練るという発想に欠けてきたということだ。「100パーセント負けるわけがない」という思いこみのもと、いざ現実に負けそうになると、パニックを起こしてそれを否定するために特攻という沙汰に及ぶ。そういうメンタリティと、0.1パーセントを「続出」と呼ぶメンタリティには類似点がないだろうか。
追記(1/24):アホな計算間違いしてました。お恥ずかしい。ところで、リスニングテストで100パーセントトラブルを防ぐ方法を思いついた。来年からリスニングを廃止することである。