『かづゑ的』(2024、試写)

熊谷博子監督の新作『かづゑ的』の試写を拝見。

岡山のハンセン病療養所長島愛生園の元患者宮﨑かづゑさんにレンズを向けつづけた8年間。岡山の山間部に生まれたかづゑさんは、10歳で発症し長島愛生園に入所します。以降80年間、彼女はそこで暮らしてきました。

とにかく、撮影とか編集とかではなく(もちろん色々と考えられてはいるのだと思いますが)、宮﨑かづゑというこの得がたい人物を知り、経験できる。これに尽きます。2時間のドキュメンタリーがこんなに短く感じたことはこれまでありませんでした。

上映後に熊谷監督が、ずっと一緒に撮影をしていると、彼女に手指がないことなど忘れてしまう瞬間があるとおっしゃっていたのですが、映画を見ていても同じ感覚に襲われました。最初は手指や足のない明確な「ハンセン病元患者」(ただし彼女自身は「らい病」という名前を選びます。そのすごい理由については本編でどうぞ)と認識されるのですが、いずれそのことを忘れてしまいます。それは、彼女が「健常者」に見えるとか、元患者で「あるにもかかわらず」すばらしい能力を発揮しているとかということではまったくなく、スクリーンを見つめている間に彼女が「宮﨑かづゑ」としか名づけられないような、奇跡的な個体となっていくからです。その個体がなぜ、どのように奇跡的なのかは、私の乏しい文章力では伝えられる気がしません。ぜひ作品をご覧になって体験してください。体験した後のあなたの人生の中には、「かづゑ」がきっと息づいていくでしょう。そして内なる「かづゑ」に励まされながら生きていくことができるんじゃないか。私自身、そのような確信を抱いています。

ハンセン病と療養所については、療養所の患者の間でさえも差別が生じていたというかなり厳しい経験が語られるところが印象的でした。これについては、有薗真代さんの『ハンセン病療養所を生きる』で、患者の中での差異(動ける人と動けない人)の重要性が書かれていたのを思い出します。

また、これは作品内では深入りはされないのですが、かづゑさんのお連れ合いの孝行さんが直方出身である点が気になっていたら、やはり炭鉱と関係のある出自だったとのことを終演後に監督から伺いました。また、療養所には炭坑夫、それも日本人だけではなく朝鮮人の炭坑夫も多く、貧しい人たちも多かったとのこと。これは、ハンセン病の発症が栄養状態や抵抗力とも関連しており、階級的に「平等」な病気では決してなかったことを物語っています。

そういった点は作品で過剰に掘り下げられることはありません。広い背景として確実に感じられます。ですが、そういったことはあくまで背景であり(その選択は正しいと思います)、この映画は「かづゑ」に出会うためのものなのです。

なんだが入れ替わりが激しくてすみませんが、今年のベスト映画が早速更新されました。もう、笑ったり泣いたり忙しく、心の中がぐちゃぐちゃにかき混ぜられました。

3月2日からポレポレ東中野他で全国順次ロードショーです。必ず観てください。