『哀れなるものたち』(2023)

元々スコットランドの作家アラスター・グレイの原作(大学院の指導教官による翻訳)に親しんでいたのもあって楽しみにしていたところ、大変な前評判なのでいてもたってもいられず、先行上映に。

外科医ゴドウィン・バクスターが自殺した女性の脳に、彼女のお腹にいた胎児の脳を移植して「ベラ」として復活させる。この世の道徳や規範とは無縁の彼女は自らの快楽のための痛快な「大冒険」に出かける。そして、彼女を愛し、所有し、従わせようとする男たちに痛快な逆襲をかましていく。

という筋は原作の通りだけれども、(予想されたことだけど)原作のメタフィクション要素はごっそり割愛。また(これは予想しなかったけど)スコットランド要素もばっさり割愛。グラスゴーからロンドンに移されている。また、セックスを主軸とするので、ベラの成長のうち、政治をめぐるアストレーとの議論や最後の医者になるプロセスなどは軽い扱い。これは映画としてまとめるために必要なことだったのでしょう。(設定はグラスゴーでもよかったと思うけど。)

そもそも映画でメタフィクションとか「複数の真実」を描くのって結構難しい、いや、できるんだけど面白くなるのが難しいんですよね。(私は『怪物』はそんなに感心しなかった。『ファーザー』はよかったと思うんですが、それは映画の主題と合致していたからだと思います。)だから、メタフィクションにしないという選択は支持します。

観ていて、途中、というかかなり早い段階でこれは原作のことは忘れて(というのは悪い意味ではなく)映画作品として楽しもう、と思い直しました。そうすると『エクス・マキナ』や藤田和日郎の『三日月よ、怪物と踊れ』などを想起しながら観ることになりました。とはいえそのそういった作品の焼き直しだと言いたいわけではまったくなく、それどころか私のオールタイムベストの一つ『エクス・マキナ』の地平を圧倒的に、爆発的に拡張してくれたと感じました。

もちろん、性の自己決定とか自由の問題とかについて考えたくなる部分とか、逆にその辺についてろくでもない批評が出る嫌な予感もあります(とりわけ売春をめぐって)。また、メイル・ゲイズのポルノだといった批判も予想できて、その辺もモグラ叩きの準備が必要かもしれませんが、とりあえず忘れて手放しで没入して酔うなり悪酔いするなりしましょうか。