『関心領域』(2023)

マーティン・エイミスの同名小説を原作にジョナサン・グレイザー脚本・監督で。第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門でグランプリ、第96回アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞ということで鳴り物入り

エイミスの原作、途中まで英語で読んだ中途半端な状態だったのですが、原作とは強制収容所のすぐ外で暮らす所長の話、という大まかな部分しか一致していないという情報があったのでそのまま観に行きました。

収容所内での暴力・殺戮はほぼ音でのみ示されます。ほとんど全編にわたって叫び声、鳴き声、銃声、焼却炉の音などが背後に鳴り続け、それを背景に所長一家が日常生活を営むという異様さが映画の本体となります。

私が最初からずっと気になったのは映像の質。非常にデジタル臭い、シャープネスの高い画像で、ライティングやフォーカスも基本的に画面の隅々まで曖昧さがなくよく見えるようになっています。一言で言ってあまり映画っぽくない画質です。テレビ番組か、ホームビデオの画質のような。

調べてみると、カメラ技術的にはこういうことだそうで、10台の無人カメラをなるべく見えないように仕込んで役者はなるべくそれを気にしないで演じたということ。無人カメラですからパンフォーカスが基本で、シャープネス過剰のあの画質はそのせいなのでしょうね。それともそれ以上の美学的狙いがあるのかどうか。

一つには、そのようにしてカメラに写っているものに曖昧さがなければないほど、画面には映らない世界の不可視性が際立つということかもしれません。そういう不気味さを、私は少なくとも感じました。映画を見ている感じ(気持ちの良さ)がないことが、重要なのでしょう。

これはホロコースト映画の歴史に新たな一頁を書きこんだ映画と言えるのかどうか(判断は正直に言って保留ですが、その歴史の中では少なくとも変わり種として参照されることになるでしょう)。ホロコースト映画といえば先日『戦場のピアニスト』を久しぶりに観て、ポーランド人が英語を話すのに大きな違和感を感じた(昔、公開当時に観た時には気にならなかった)のですが、今回は言語は原語のままですから、やはり映画のスタンダードとしてはもう、『戦場のピアニスト』的なものは通用しなくなっているということでしょうね。