すまない

 授業しながら卒論でせっぱ詰まった学生の対応をしながら抜けられない会議をするという目の回るような一日は、「子供が『耳痛い』って泣いてるんだけど……」という電話で大団円。あわてて帰って耳鼻科に連れて行くと、中耳炎の診断。その耳から巨大な耳垢が……。しっかり耳掃除してたつもりなんだが。すまない……

つぐない [DVD]

つぐない [DVD]

 原作読む前に映画ができてDVDが出たら、それで済ませてしまおうかなどという怠惰な誘惑には勝てないわけです。そういう義務感を感じているのはなぜかといえば、「イングリッシュネス」問題の現在における再興というときに必ず触れられる作品であるので。その観点では、どこまでも「ポストモダン」なものを感じた。エステイト・ノヴェル、『チャタレイ夫人』といったものからの引用で織りなされていること、また後半のもろにポストモダン小説的なナラティヴ戦略など。その中で、第二次世界大戦という断絶のナラティヴと、それ以前の楽園の記憶が'stately home'という場との連想関係にある点などはある意味「分かりやすい」わけだが。こりゃ、さぼってないで原作を読まなきゃ。

 映画だけに焦点をしぼるなら、最後の「ポストモダン的ナラティヴ戦略」(ネタバレになるのでそう名付けるだけにしておくが)については、ここでは観客に対するmanipulationが行われており、そのmanipulationが「異化」されるわけだが、manipulationとその異化ということでなぜか想起したのはジェイムソンの「ジャンルの非連続性」という概念で、そういえばこの映画は妙にジャンル、というかトーンがシフトしていくような感覚がある。映画を見る「構え」をこちらもシフトしていかなければならない感じ。加えて観客としての同一化の対象を常に自問して修正しなければならない。って、ネタバレしないように書いたらわけわかんないかな。まあ、そういう感想だったわけです。

 で、「つぐない」に関して言えば日本語では「すまない」という非常に便利な言葉があります。すまないじゃすまないわよ!