神は細部に

ウィリアム・モリス通信 (大人の本棚)

ウィリアム・モリス通信 (大人の本棚)

 ご恵贈いただきました。ありがとうございます。

 この方(小野二郎ではなく川端先生)、本務校の激務で「この二年は『無』でした」とおっしゃるのだが、その「無」の間に著書、編著、訳書が何冊出たことか。翻って我が身を深く反省する次第。

 「神は細部に宿る」という言葉がある。この「細部」というのは、常人であれば見過ごすが知識と鑑識眼のある人間なら「分かる」ような細部のことだともとれるが、おそらくモリス的にとらえれば常人もみな見て触れている「ふつうの」細部なのだと思う。というのは例えば小野二郎が注目する「ウィリアム・モリスの法則」(というのは本書の「解説」から取っているのだが)。編集実務の教科書的な本に「モリスの法則」というのが載っているらしく、小野はそれに衝撃を受けたという。それは、本の頁の割り付けの、余白の広さの法則であり、内側(のど)をもっとも狭く、天はそれよりやや広く、外側(小口)はそれより広く、地をもっとも広く取るというもの。

 日頃本を読む私たちがそのような法則を意識することはまずない。つまり、本の製作の背後にある職人的な労働を意識することは、ない。モリスにとっての細部とは、まさにそのような意識されないけれどもふつうにあらゆる人が接しているものであったろう。モリスにとっての「デザイン」とは隠蔽された労働の質を意識化させるための異化効果の謂いであった、と定義できるだろうか。

 話は飛ぶが、現代においてそのような労働の痕跡をもっとも効果的に消す素材は「プラスチック」であるような気がする。なぜと言われると難しいが、最大の要因は「継ぎ目のなさ」であろうか。他の素材であれば、切断・裁断された上で接合されたり編まれたりしており、そこには労働の痕跡が(もちろん比喩的なものにすぎないが)ある。プラスチックは違う。それは原義の通りに可塑的であり、素材としての芯をもたない。つまり、イデアを限りなく忠実に模写できるが、あたかも自発的にその形をとったようなふりをする(あくまで比喩的な話だが)。モリスが現代に生きていたらプラスチックのことをどう思ったであろうか、などという妄想を膨らませながら思い出したのは下記の本。

プラスチックの文化史―可塑性物質の神話学

プラスチックの文化史―可塑性物質の神話学