ディザスターと歴史


沈まぬ太陽 スタンダード・エディション(2枚組) [DVD]

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 なんとも、震災後の現状に刺さる映画でした。ここに描かれるのは、基本的には、「国民航空」(=日本航空)の「民営化」のプロセス。それと同時に進む労働運動の解体に、主人公は翻弄される、と。それと、現在の国と東電との関係がどうにも重なって見えてくる。(一時は東電国有化論もあったけど、ここのところは政府は「東電はあくまで私企業」という線引きを明確にし始めているところだし。公的資金の注入はあるだろうが。)

 まあしかし、これはちゃんと調べないといけないとは思うが、60年代の労働運動と、渡辺謙演じる主人公の美化には、絶対ウソが入ってるような。イノセントすぎる。

 それはともかく、ポイントとしては、御巣鷹山の墜落事故が民営化のきっかけになったのではなく、民営化のプロセスがずっと続いた先に墜落事故が起こったという(少なくとも物語になっている)ことか。ある意味、墜落事故という出来事によって、過去の歴史が書きかえられ、立ちあがるという言い方もできる。これはあらゆるディザスターにも言えることではないかと思う。ナオミ・クラインの言うように、新自由主義がディザスターを利用して未来を塗り替えるということもあるが、その一方でディザスターが何らかの歴史の画期となるとすれば、それはその出来事がわたしたちの過去の認識を塗り替えるからでもある。東電に関しても、現在進行中のインシデントは、そこにまでいたるプロセス、歴史の再検証を強いるだろう。これは東電や政府が反省するという意味ではなくて、わたしたちみんなにそれが強いられるだろうということだが。そしてかねがね言っているように、過去の系譜を引きなおすことは、べつの未来(願わくは上記のディザスター・キャピタリズムが構想するのとはべつの未来)を構想することになる。

 どうやらこれに似たことを、Jean-Pierre Dupuy, Petit métaphysique des tsunami (2005)が論じているらしい(ジジェクから孫引き)のだが、誰か訳して。