大震災

 一応、生存確認の意味もこめて書いておきます。とはいえ私は東京なので、むしろ福島や石巻にいる友人たちを心配しているところです。

 11日は大学でのシンポの真っ最中に地震が起きて、しばらく屋外に避難した後、シンポは最後まで継続されたのですが、自転車で帰れる私は家族と自宅が心配で、中座しました。子供とカミさんは公園にいて無事。自宅は奇跡的にも、本一冊、CD一枚落ちておらず、地震の痕跡は皆無。その後、シンポのゲストや参加者が帰宅困難者となり、私の家に収容する相談もしましたが、結局より近い収容先が見つかった模様。

 このような時に「分析」を始めると非常に不穏当だと言われそうだが、そういう不穏当なことをするのが職業である以上、いろいろと考えてしまう。たとえば、奇しくも前のエントリーでコモン・ストックの不可視性について書いたのだが、震災はそのコモン・ストックの存在を赤裸々に明らかにした、とか。それはおそらく良いことでも悪いことでもある、というか良い方向に向く可能性も、逆の可能性も秘めている、とか。ちょうど先月の研究会で読んだdisaster capitalismの発動にはぜひ注視すべきだ、とか……。

 とはいえ、この状況を前にして、今書いている(はずの)締め切りの迫った原稿も、書き進めるのにかなりの努力を要するのは確か。文字どおり、言葉を失うのである。でも、こういう時こそ言葉を絞り出す、絞り出せることが肝要であろうと思いなおして、書きます。