社会

 『Web英語青年』の連載、今回は「社会」です。次号へのパスもいただいて。

 うむ。これは、なかなか出版されないある論文でも書いたことだけど、レイモンド・ウィリアムズの「わかる社会」について重要な点というのは、彼がこれを「感情の構造」である、と言っている点なのです。つまり、ウィリアムズは人と人の顔が見え、また社会の全体性も見えるような社会がかつては存在し、それが産業化・市場化で失われたと言っているわけではなく、「わかる社会」という感情の構造自体が近代の産物で、つまり「わかる社会」の措定は産業社会の補遺もしくは解決なのであって、それゆえに現在、「社会」が競争的社会としてだけ想像され、協力的な社会が希薄になっている、という言い方をしたときに、これは半分の真実しか言い当てておらず、むしろ協力的な社会は競争的社会(=市場)の構成的な部分であるのが近代なわけです。(それさえなくなったのがポスト近代、というのは、最終的には、幻想だと思う。)

 ところで、雑誌ついでにというと失礼ですが、同僚のMさんが大変立派な媒体に大変立派な論文を載せられたのでご紹介。こちらで読めます。

http://mediationsjournal.org/

 同じ号には、フレドリック・ジェイムソンによる、もうすぐ出るはずの『資本論』論のプレヴュー的な論文も載っています。この並びは、いやはや、感慨深いです。