土曜日は豊橋へ。なにかと申せば、『レイモンド・ウィリアムズ研究』の企画で、思想史家の関曠野氏へのインタビューに。
関さんには、80年代に下記の著作があり、80年代といえばニューアカ全盛の中、「裏街道」的な批評活動を行っていた人物として、「出会いなおそう」という企図。とくに『ハムレットの方へ』は本当にすごい本だと思う。歴史実証主義的な批判が出てきそうだが、その肝心の歴史実証主義がこの本では根本的に批判されているわけで、症候的にこの本を無視し続ける英文学者・批評家が、無視することによって失ったものは大きいと確信する。
ところでインタビュー。氏はやはり、筆一本で食っている在野の批評家の迫力のにじみ出る人物で、かといって「えらそう」な印象を与えるわけではない。3時間強、しゃべりにしゃべりまくった感じだが、ベーシック・インカム/社会信用論、そして80年代の著作について、非常に明晰な語り口で語っていただいた。
とにかく印象に残っているのは、私が、『ハムレットの方へ』などの底流にある歴史観もしくは時間性についての質問をした際の答え。その歴史観とは、過去の系譜学とは必然的に現在のわたしたちを映すものであり、現在とは一瞬のちの過去にして一瞬先の未来であるしかないような時間であるなら、過去には未来が秘匿されていることになる、という議論。(くわしくはこちら。)
このような時間性の思想のルーツはどこにあるのか、ということを伺って、ある程度、ハイデガーだとか場合によってはエリオット、ウィリアムズはないとしてもフーコーといった固有名が出てくることを期待していた部分があったのだが、関さんの答えは、「東京で生まれ育って、(共同通信に)就職して三重に暮らした経験」である、と。こういう答えが出てきてしまうあたり、やはりすごい。(しかしちなみに関さんの思想史とフーコーとの親近性はある程度確信があったものの、インタビュー本番では聞けず、そのあとの食事の際に聞いたらやはりフーコーの評価は高い。)
これだけではなく、ベーシック・インカム/社会信用論は、それに対応する政治理論もしくは思想に欠けている、しかし裏返せば、これらのアイデアこそが、ベーシック・インカムを可能にするような政治の条件(その逆ではなくて)となりうる、という議論など、かなり興奮して聞いた。
いずれ同人誌に載せるのでこれくらいで。とにかく刺激的な企画になりました。
本日は東京に舞い戻って学会の編集委員会。なぜかとっても眠かったので懇親会など出ずに帰宅。
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