戦闘開始だね

 明日の三田方面電撃作戦が控えているものの(まただよ……感染力あるなあ)、わたしがその鑑識眼に全幅の信頼をおく方(々)が絶賛していたこの映画がDVD化されて届いてしまったからには観るしかない。

接吻 デラックス版 [DVD]

接吻 デラックス版 [DVD]

 この映画のすばらしさを語るためにはわたしの語彙はあまりにも貧弱であり、したがってここでは「観た」という以上の言葉を書かずにおしまい、にしたい気分。

 それでもひとつだけ。これだけ(役者、大道具、小道具、という水準で)構成要素の少ない映画でありながら一分の隙もなく息継ぎする暇もなく見せる、という点がすばらしく、小池栄子の存在もすばらしいのは言うまでもないことだが、物語の魅力を一言で言えば、「愛のロジックを徹底しつくした先の狂気」=「極限的理性としての狂気」ということであろうか。坂口秋生と遠藤京子のあいだの「愛」は、ただひとつのルールにのっとったものである。それは「「「誰も私を理解しないししようとしない」という理解されない感情」を理解し合う」という括弧だらけのルールである。これらの括弧の奥の奥は二人にしか理解できないことになっているのだから、このルールは必然的に「「世間」からの理解を拒む」という第二のルールを発生させる。この第二のルールこそが二人の「愛」を成立させる。愛というよりは、これはひとつの共同体である。「世間」から放逐され非−存在となった個々人が、その非−存在性そのものをルールとして立ち上げる熾烈な共同体。そしてそのルールを破るのが坂口、守り続けるのが京子なのであった。*1作品の壮絶さの由来は、ルールを守り続ける京子の徹底性であろうと思う。その点、DVDに収録されていた役者へのインタヴューでのラストシーンの解釈(特に仲村トオルのそれ)は、ぬるすぎるのである。

 なにはともあれ今年に入ってからくだらない映画ばかり観ていたので、いいもの観させていただきました。

*1:というのは不正確かもしれない。上記のルールは矛盾しており、坂口は京子の呼びかけに応えてしまった時点で「「他者からの呼びかけに応えるな」という呼びかけに応える」というダブルバインドに陥ってしまっているのだから。