議会に言語爆撃

 二コマ、学生二人、「活動」。

Manifestoes: Provocations of the Modern

Manifestoes: Provocations of the Modern

 とりあえずイントロダクションとちょっとだが、7月のミニシンポ(をやるのです)のテーマにとっては、重要な本である模様。

 啓蒙主義以降/フランス革命以降のブルジョワリベラリズム的な公共圏から排除されたものをかいま見ることを可能にする、新たな公共圏を開く言語パフォーマンスとしてのマニフェスト。敷衍すると、(政治行動/芸術形式としての)マニフェストは代表制──レプリゼンテイション──の死角に光を当てる、プレゼンテイションだ、ということになる。

 この本はそのテーゼのもとに、イギリスのサフラジズムにかなりの紙幅を費やしているので、ウルフの『三ギニー』をアンチ・マニフェスト、もしくはマニフェスト的なものの「包摂」として読む際に、多くの洞察を与えてくれはしないかと期待。

 あと、Puchner本を読んでいて(いまだに読了せず)、ダダのフォトモンタージュが「広告」に接近するという議論は、『ダロウェイ夫人』の飛行機がまさに「広告」を空に描くものであることを考えると、非常に示唆的。

 ミニシンポについてはいずれちゃんと告知しますが、私はいろいろな「示唆」をしてバトンタッチ、かな。