二つの壁

 アルジャジーラより。

 これは全く間違ったアナロジー、というより連想であるが、壁が崩壊して人びとがあふれ出す、という映像に、ベルリンの壁崩壊を思わずにはいられなかった。いや、くり返すがこの連想はあらゆる意味で間違いで、「壁が崩れて、人びとがあふれ出す」という以外に何の共通点もない。ベルリンでは、人びとは壁を越えて何かをしにいったわけではなく、ただ壁を越えることに象徴的意味があったが、ガザのパレスチナ人は枯渇した生活資材を買うために壁を越えただけ。しかもこれが歴史的分水嶺になる可能性も低いといわざるを得ない。

 それでも、ガザ地区の映像は奇妙なインパクトを私に及ぼした。一方ではここ数日エドワード・サイードのインタビューのテクストと格闘していたせいもあるが、もう一方では上記の間違った連想を抱いてしまったからだろう。ベルリンの壁崩壊の時に15才だった私は、世界のこともあまりわからずに(今でも分かってないが)、ひとつの世界の、世界のイメージの終わりを見た。当時は何かの始まりを感じたと思うのだが、それは間違いで、あれは憂鬱な世界への緩慢な移行の間のひとつの出来事でしかなかった。今、この壁の崩壊を見て、これもまた何の始まりでも終わりでもないだろうと分かっていつつ、希望の種子を見たいと願ってしまうのは、やはり誤謬なのだろうか。