論文と読者層

 土日はウルフ協会大会と編集会議。

 土曜の午前中は飛ばして午後のシンポから。その啓蒙的スタイル、「これもあり」か、というか、「こういうのも必要」と思う。Jane Garrityの本にとりあえず全面的に依拠し、前半戦で共通の理解を醸成、後半戦でその応用編を、という形。

 戦間期のミドルブラウ(女性)文学研究にはまだまだ豊穣な可能性がある、ということだが、これはやりはじめたらきりがないんだろうなあ。私はやらないだろうけど。しかし、Mary Buttsは今書いている論文にも関わりそうな匂いだったので、読もうかな。どちらにせよ、一点突破スタイル(だと思うのだが)の私は、山ほど小説を読んでマッピングするなどというのは人任せでいいや。

 今書いている論文は、博論のことも考えて英語で書いているのだが、いろいろな契機が重なって、「なぜ英語で?」と考え込む。読者層を考えたときに、日本の学術雑誌に英語で書く意味が分からない。それどころか、読者を減らすだけだと思って、ここのところずっと日本語でしか書いてない。

 発表はすべて英語で、という学会があると聞く。それで、日本にいる英語話者の参加を促せていればいいと思うのだが、聞いたところでは日本人ばかりでそれをやっているとか。滑稽なり。

 で、博論。私の出た大学院に出すには英語しかないのだが、某大学ではお安く(学費まで払う必要なし)、日本語論文でOKという話を聞き、ぐらっと来たり。

Step-Daughters of England: British Women Modernists and the National Imaginary

Step-Daughters of England: British Women Modernists and the National Imaginary