メモ。

 なんだかなあ。もう、しんどいなあ。自分探しの旅にでも、出たいなあ。

 ここのところ、読書歴が歯の抜けた櫛のようになっていた、19世紀終わりから20世紀にかけての人類学、社会学、考古学、古典学の「名著」を読み続けている。メモ代わりに、重要なものを年代順にならべてみる。

1890年 J. G. フレイザー 初版 金枝篇〈上〉 (ちくま学芸文庫)
                  初版金枝篇(下) ちくま学芸文庫 フ 18-2
1912年 エミール・デュルケム 宗教生活の原初形態〈上〉 (岩波文庫)
                    宗教生活の原初形態〈下〉 (岩波文庫)
      J. E. ハリスン Themis: Study of the Social Origins of Greek Religion
1913年 J. E. ハリスン 古代芸術と祭式 (ちくま学芸文庫)
1920年 J. L. ウェストン 祭祀からロマンスへ (叢書・ウニベルシタス)
1925年 ギルバート・マリー 希臘宗教発展の五段階 (1951年) (岩波文庫)
      (これは1913年に『……の四段階』として出版。)

 こういうリストにありがちな、「なぜこれは入っていない?」というのはご勘弁を(あ、いや、指摘していただけるとありがたいのではありますが)。デュルケムだけなぜかフランスだし、それを言ったらデュルケムに続くフランスの人類学、社会学者は入っていないし。マリノフスキーも入ってない。また、リストの最初に、

1872年 ニーチェ 悲劇の誕生―ニーチェ全集〈2〉 (ちくま学芸文庫)

 を入れたらいい感じにまとまるかも。

 基準は、イギリス文学を読む上で重要なもの、ということです。フレイザーは言うまでもなく、ウェストンのエリオットへの影響とか、ハリスンのウルフへの影響は有名なところ。対象は違いこそすれ基礎にあるのは、「現代世界ではその起源が忘れ去られた習慣や芸術が、実は原始的祭式に発するものであった」ということ。それはもう強烈な疎外論なのです。モダニズム作家たちには、それが失われた芸術の社会機能を取り戻す希望、ユートピアとして受けとられたわけです。ただ、その「現代世界」がどの世界か、ということが問題。人類学へのポスコロ批判はいまさらくり返しても得るところはないが、これらの学者たちが膨大な人類学、考古学の資料を用いつつ固着していくのは(「イングランド」ではなく)「ヨーロッパ」なのだなあ、と、つくづく。それをする上で、ヘレニズムとヘブライズムの統合が欠かせない作業であることも確認。ただ、ヘレニズムとヘブライズムの問題といえば、ラスキンから『ダ・ヴィンチ・コード』まで(?)時代に限らない問題ではあるなあ……

 それはともかく、「帝国から英国へ」という大ナラティヴの中間項に「ヨーロッパ」が必要だな、と、いまさらなことを実感してしまって困っているところ。リストのうち、なんだかんだでハリスンの『古代芸術と祭式』が一番好きです(対象との距離感が失われつつある……)。