研究発表をして、しばらく後に重要な先行研究を発見してがっくり、ということはある。例えば私はちょうど一年前に狼協会大会シンポで、ベンヤミンとモダニズムというテーマのもと、ヴァージニア・ウルフの『幕間』その他とベンヤミンをたどたどしく対話させたのだが、
The Eye's Mind: Literary Modernism and Visual Culture
- 作者: Karen Jacobs
- 出版社/メーカー: Cornell Univ Pr
- 発売日: 2001/02/01
- メディア: ペーパーバック
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ほら、あった。第6章の"Spectacles of Violence, Stages of Art: Walter Benjamin and Virginia Woolf's Dialectic"。扱われているテクストもかなり重複。まあ、視覚的なものに軸をおくこの論文と、後半ではベンヤミンの悲劇論に逆流的展開をした(と、思う。自分で喋ったことをすぐ忘れる)私の議論は、毛並みはかなり違うのではあるが、同じ問題圏であることは確か。「すでに言われてた」という問題ではなく(それも本来は問題なのだが)、自分の問題構成を組み直さないといけないのかなあと。
乱暴に言ってしまうと、「ファシズム的なもの」と「ファシズム的ではないユートピア的なもの」の切り分けの問題なのだが、なんでこんなに「出口なし」(結論はちょっと美学的にまとめるしかない)なのかと考えたら、ごく単純な原因を思いついた。
ベンヤミンとウルフが似すぎているのだ。
二人ともほぼ同じ頃に生まれ、前後して自殺。「複製技術」論とウルフ晩年の作品の類似。
「比較」という作業を行うとき、「同じ歴史的条件で同じことを考えたひとたち」を比較しても、そりゃ袋小路だ。同じ歴史的条件で違うことを考えたひとたちや、違う歴史的条件なのに同じことを考えたひとたちを比較するなら、これは生産的だ。私がこの道に入ってすぐのころに(って、そんなに昔じゃないが)、コンラッドとJ. G. バラードを比較する論文を書いたが、久しぶりに読み返したら、なんのことはない、面白いじゃないか。
そういうことだ。
ずぶずぶ。
ずぶ
ず