ミュージック・ホールとイングランド

 一日中翻訳校正。頭がスポンジ、という比喩を最初に使ったのは誰だろう。

 T・S・エリオットのエッセイに、「マリー・ロイド」というのがある。マリー・ロイドは「ミュージック・ホールの女王」といわれる歌い手。このエッセイでエリオットは、ミュージック・ホールにイングランド的な理想郷、いわゆる「有機体的社会」に近いものを見いだそうとしている。正直、最初に読んだときはかなり意外だった。ミュージック・ホールといえば労働者階級の娯楽施設というイメージで、エリオットのエリート主義的文化観にそぐわない。

 しかし、この本を読んで、なんとなく納得。ミュージック・ホールが生じたのは19世紀半ば、万国博覧会の直後のこと。酒を出し、歌その他の娯楽を安価で提供し、労働者階級を中心として大人気となった。ただ、その歴史は「風紀」を正そうとする当局と、その目をごまかしつつ営業しようとするホールとのあいだのいたちごっこの歴史。ホール経営者は出し物やホールの雰囲気を「リスペクタブル」なものにすることに心をくだいた。

 その結果、ミュージック・ホールは「労働者階級の余暇の取り締まり」の機関のようなものになったというわけ。これを、ヴィクトリア朝的リスペクタビリティとかいう文化論に回収しては面白くない。中産階級の、「マス」に対する恐れと対処の場であったわけだ。そう考えると、エリオットの評価もなるほどと思うわけです。あとは、とても分かりやすい水準で、ミュージック・ホールでの歌や出し物の内容がトーリー寄りだったということもしっかり論じてある。

 歴史を書く際に、ナラティヴは重要だなと改めて思う。大変に、読ませる文体です。