日本映画学会

 日本映画学会の立ち上げ大会@京都大学

 ゲラの赤入れと授業準備がせっぱ詰まっているが、こういうのは無理をしてでも行くものなので、遅刻しつつ足を運ぶ。

 すでに二人目の発表者。大藤信郎(1900-1961)というアニメーション作家について。彼は1920年代から千代紙アニメーション(千代紙で人体などのパーツを作り、それを動かしてアニメーションを作る)の作品を作り、トーキーになってディズニーのセルアニメが席巻するとセルを、さらには影絵アニメを作った人。

 千代紙アニメや影絵アニメは、ドイツ表現主義やロシア構成主義の影響もあり、美学的には前衛だったりする。しかし、作品(『国家君が代』とか『マレー沖海戦』とか)は、政治的には前衛とはほど遠い。その辺は発表ではスルー。まあ、映画特にアニメ研究では常識らいしい大藤という人物の全体像を知れてよかった。

 上映会はサミュエル・ベケット原作、アラン・シュナイダー監督、バスター・キートン主演のFilm(1965)。ジル・ドゥルーズCinemaで論じているが、初めて観た。

 20分程度のサイレントで、人間はおろか鏡や犬、ネコ、オウム、金魚などのまなざしを神経症的に恐れる男(バスター・キートン)が、部屋のなかでそれらのまなざしをすべて排除。ようやく落ち着いて封筒から何葉かの写真を取り出し、眺める。自分の幼少時代から大人になるまでの写真。それも突然破り捨て、椅子の上で眠り込む(ここまで、キートンの顔は写らない)。そこで、突然カメラが生命を持ち、眠っているキートンの正面に回り込む。はっと目覚める男。目の前には自分自身。

 パラノイアックな作品なのに、なぜか笑いが止まらない。

 講演は加藤幹郎氏。シネマコンプレックスの成立史と、観客の受容史。

 仕事が山積しているので、懇親会などはパス。「耳学問」は良い。