敗北趣味

 ここのところ、「活動」がずいぶん盛んで、書類作成など。なんというか、空虚な事務処理ではなく、十全な言語行為としての書類というのは、書いていて楽しいのである。

市民ケーン [DVD] FRT-006

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 「こんなのも観てないの?ワンコインシリーズ」。

 とはいえ、この映画、観たことがあるのかないのか思い出せない。話は知っている。でも観た「経験」が蘇ってこない。観たとしてかなり前なのだろうが、恐ろしいことではある。

 すばらしく巧みな構成。オーソン・ウェルズの、軽みをもちつつも、ぐいぐいと押し入ってくるような存在感。良い。

 チャールズ・ケーンは極端さの権化であり、その極端さは政治的スペクトルの左右両極端に位置しうるような極端さである。タイトルにある「市民」のアイロニーはそこにある。これは、基本的にはその極端さの包摂の物語なのであり、敗北主義的というか、「敗北への包摂」を行っている作品であろう。つまり、「勝ち負け」という枠を物語的無意識として設定しておいて、しかる後に敗北させるという。そのような物語に抵抗する方法とは、勝負をしないことであろう。決して敗北しない唯一の方法は、勝負をしない=勝ち負けの土俵に上がらないことである。「それこそ敗北主義じゃ!」と言われそうですが。

 何を言っているんだろう。疲れているんだな。明日は広島へ。