爆破は崇高である

 より、『コヤニスカッツィ』(1982)。ポーランドに行ったまま帰ってこない友人に勧められて。

 いや、これは……。理性は、「この映画、間違ってる」と叫び続けるのだが、画面から目が離せない。主に高速度撮影と低速度撮影によって、世界の様々な風景の異貌を見せ、それとフィリップ・グラスによる音楽がみごとに融合している。台詞なしの、「環境映画」にカテゴライズされそうな作品であり(そういえば、最近『アース』というのをやっていたな)、その「自然対文明」「文明への疎外」というヴィジョンを、先に述べた理性は「拒否せねば」と叫ぶのだが、抵抗虚しく作品の強度の前にひれ伏してしまう。

 監督のゴッドフリー・レジオは、収録されたインタヴューによれば青年期をある宗教団体(おそらくフリーメイソン系の宗教共同体)で過ごしたようだが、その宗教的ヴィジョンがこの映画の全てではないにしても、「強度」はそこに由来するものなのだろう。とにかく、全てが崇高。否定的な要素であるべき、都会のビル爆破や核実験(?)の爆破、そしてラストシーンの、宇宙ロケットの爆破などさえも、やたらに崇高。この辺、スペース・シャトルの爆破やWTCの崩壊が「崇高」だった(と、シュトックハウゼンは述べて物議をかもしたが)のと通底する。

 全然関係ないですが、

 ついに、というかようやく、出ることになったようで。米国版を買うかどうか迷っていたところ。しかし、やはり日本版は高いなあ。