ジオモダ

 非常勤の後、研究会。

 ここのところ読んでいた、Geomodernismsから論文三本。

 やはり、Ian Baucomの論文が一番やっかいで、議論が集中。私のまとめは少し誤解があったようで、ボードレールベンヤミンのモダニティ論をファノンが「流用」した、ということではなく、対象との魔術的距離を失ったモダニティ、というパラダイム的なモダン論に対し、ファノンの見つめる植民地都市は魔術的距離を維持しつつも、ファノンはそれを「モダン」であると言うわけで、モダンに内在する、もしくは残余的なものでありつつも補遺であるような魔術的なものをファノンは植民地都市に見いだすということ。しかもこれらのモダン観は二項対立的なものではなく、結局ボードレールベンヤミン的モダンにもファノン的なものが見いだせるというひねりが加えられる。うん、まだうまくまとまらないかな。もう一度読もう。

 あと、モダニズムという語の使用については、論文を読み進めるうちにこの用語の定義の修正を迫られるように構成されているのだと気づく。

 なぜかレイモンド・ウィリアムズの『田舎と都会』が頭から離れない。ウィリアムズはモダンによる「諸普遍」の産出のひとつとして「田舎と都会」の二項対立を追ったのだが、逆に言うとそのような観念的対立における田舎ではない田舎(「現実」の田舎、もしくは辺境)の経験にこそ、観念的対立を超えたモダンの契機(アンチモダンではなく)が見いだせるのだとすれば、Baucom論文におけるソフィア・タウンもそのような場ではなかろうか、とかなんとか。