残念

脳と仮想

脳と仮想

 うーん、残念。残念ながら、「私たちが認識している『現実』とはすべて脳内現象であって、ひょっとすると私たちはヴァーチュアルな現実を体験させる巨大なコンピュータに繋がれている存在かもしれない」という認識は、とっくに常識化しているのである。「そのように常識化=自然化したものに対する新鮮な驚きを取り戻せ」と著者は言っているのだが(これはかつて、「異化」という言葉で論じられた操作である)、そのような命令が有効であるためには、よほどの強度を必要とするだろう。『生きて死ぬ私』は、「私たちは脳である」という事実を本当の意味で認識した際におとずれる、足下を掘り崩されるような感覚(著者にならって「クオリア」と言おうか)を与える強度をもっていた。この本には、それがなかった。『生きて死ぬ私』はナイーヴだと切って捨てるのがためらわれたが、この本についてそのようなためらいを感じない。なぜだろう。読んだ順番のせいか?