昭和の残照

 何度も言いますが、野球に興味はないのです。というしつこい陳述(三度目)が、一定の言語行為を行っているわけですが、どうやら1974年(昭和49年)生まれの私にとって、「野球」はある象徴的な意味を帯びているようです。

 野球とは、昭和的なものの残照に他なりません。世界的に見れば、サッカーと比較してどう見てもマイナーであることを否定できない野球というスポーツが、日本においてはパラダイム的な位置を占めてきて、ここにきてようやく相応にマイナーな位置に降格しつつあること、これをWBCという大会は象徴しています。今日ようやく気づいたのですが、なんであんなに必死なんだろうと思ったら、「国のために戦う」とかいうお題目が重要なのではなくて、あれは、「野球」というスポーツを守りたいがためのお祭りだったのです。メディアの利用を心得ているイチローのパフォーマンスの意図は、単なる愛国心の高揚などではなく、「あんなにクールなイチローがあんなに熱くなっている」ということを印象づけることによって、野球そのものをいっちょ盛り上げようということだったという気がします。守ろうと必死になる対象は、消え去ろうとしているなにかである、ということは自明でしょう。

 そして日本において「野球」を守ること、それは昭和的なものを、昭和的なものの残照を懸命に保存しようとする試みなのではないか──これが、少年時代に、ジャイアンツの中継でテレビのチャンネルを独占し、そして今日WBCの結果に盛り上がっている老いた父の姿を目にしながら抱いた感慨です。「昭和」とは正確な元号の問題ではなく、「戦後」のことです。

 そんなわけで、審判も含めた必死の努力にもかかわらずアメリカが敗退し、日本がなぜか優勝したことは、かなり強力な幻想を供給するでしょう。幻想を与えることができるという時点で、野球はまだその役割をはたしていると言えるのかもしれませんが。

 ところで、柄谷行人は野球ファンであり、どこまでも昭和的な人です。かといって、それを飛び越えてサッカー的な批評家が出てきてはいませんし、それを想像するのも難しい。

 以上、散々飲んでぐにゃぐにゃになりながら書きなぐったエントリーでして、明日の朝になって恥ずかしくて削除するかもしれませんが、その際はご容赦を。