- 作者: 立木康介
- 出版社/メーカー: 人文書院
- 発売日: 2007/07/01
- メディア: 単行本
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ちびちび読んでようやく読了。最後のアルチュセールの章、「なぜスピノザでなくアリストテレス?」という疑念を表明したが、スピノザでなくアリストテレスなのが肝なわけでした。
ともかくも、偶然性と必然性、そして目的論と自由の問題。これは大きい。人生の問題である。「落ちる石は自分が自由意志で落下していると思うだろう」という境地で人間は生きていくことができない。だから、宗教なり、占いなり、はたまた俗流マルクス主義や精神分析、俗流生物学や脳科学が存在するのであって、おそらく「俗流」に対して非俗流なり真実をつきつけてもどうしようもない。「俗化」はそれこそ必然性なのだから。それが分からない(もしくは分かってる?)人が、「大きな物語の終焉」などの大きな物語をぶち上げてしまうのだ。神話が終焉を迎えたというのはおそらくそれ自体神話であって、そのような神話も含めてこの世は神話であふれかえっている。そんな中で精神分析やマルクス主義の重要性は増しこそすれなくなることはないように思う。
いきなり話が逸れたが、最終的には目的性に回収するかに見えるアリストテレスにおいて、目的に従属するかに見える「質料」が、(物理的必然であり同時に純然たる偶然性であるという)矛盾をはらみながらも偶然性のざわめきとして目的に抵抗をする。アルチュセールの「出会いの唯物論」を、その点でアリストテレスがはるかに先取りしていた、と、これまた非常にクリアな論理展開。
納得はするのだが、アルチュセールのあの狂気の淵を覗き込みながら書いたような(実際そうだが)テクストの濃密さが、これで十分に受け止められているのかしら、と、非常に印象批評的だが思う。